社員の目線からFacebookが世界最大級SNSになるまでの困難・教訓を書いた本
ザッカーバーグのストーリー
「何十億人をつなげる冒険のすべては、家族 6人をつなげるところから始まった。ザッカーバーグは、そこに立ち止まっていない。現在ザッカーバーグは 32歳だが、こう振り返ると彼はもう 20年にもわたって、世界をよりオープンにつなげる取り組みを行っているといっても過言ではないだろう。」
- ザッカーバーグの最初のプログラミングは家族をつなげる「ザックネット」
「父にプログラミングの基本を教わったザッカーバーグは、家族 6人をつなげる簡単なメッセージ送受信プログラムを作り、ザックネットと名付けた。ザックネットは自宅のコンピューターと自宅に併設している父の歯科医院のコンピューターをつなぐものだった」
- ハーバード大学で最初に作ったプロダクトは大学のノート共有サービス「コースマッチ」、その次が「フェイスマッシュ」
「ザッカーバーグが最初に製作したサービスはコースマッチだった。これはハーバード大学のコミュニティーや勉強における興味や関心をオンラインにまとめ、自分のクラスメイトになる学生を知るためのものだった。そのすぐ後、同じローマ帝国時代の美術史を取るクラスメイトと最終試験に向けて勉強をするためのサービスを作った。講義で習った美術品 500点の画像を掲載し、クラスの全員が各作品に関するノートを共有した(結果的にこのクラスは試験で歴代最高得点を叩き出した)。数ヶ月後に開発したフェイスマッシュは、サイトのプログラミングとソーシャル機能の両面で良識、著作権、プライバシーの一線を越える問題作だった。このサービス開発のため、ザッカーバーグはハーバード大学にある 12の内、9つの寮のローカルネットワークやインターネットをハックし、学生の写真を無断でダウンロードした。サイトの趣旨は、学生同士が互いの見た目の優劣を評価するというものだった。ザッカーバーグはこの行いにより、大学から謹慎処分を受け、キャンパスの女性グループに謝罪することとなった。しかし、この失敗からザッカーバーグは、常にユーザープライバシーとデータの共有管理機能を軸に置く必要性を学ぶことができた。」
桁外れの成功のために必要なのは3つだけ
1. 不可能を可能にするミッションを遂行する熱意を絶やさない
「スティーブ・ジョブズの「人類の進歩をもたらす思考ツールを作る」というミッションにおける最大のブレークスルーは、最初の製品を出してから 30年後に形になった。ジェフ・ベゾスも「地球上で最もカスタマー視点で考える企業」を構築するのに 30年かけている。ラリー・ペイジが「情報を整え、世界中どこからでもアクセスできるようにする」ために始めた会社と同時期に誕生した子供は、もう大学に入学する年齢だ。ザッカーバーグの「世界をよりオープンにつなげる」、イーロン・マスクの「持続可能な交通システムの確立」の冒険は 10年を過ぎたところだ。」
2. 愚かで賢いビジョナリーである
「愚かなアイデアには何の意味もない。賢いアイデアには人が殺到する。賢いアイデアよりはるかに重要なアイデアは、一見愚かに見える賢いアイデアだ。それが賢いアイデアであると競合が気づく前から彼らは動き出し、大きく差をつけるのだ。 愚かで賢くあるにはどうすればよいか? 彼らは、誰よりも先にそのアイデアに気づき、不確実性が高い中でも前進することをためらわない。誰よりも早くプロダクトを作り、競争に勝ち続けるために何度でもそれを行う。一見愚かでも、いつかはそのアイデアの真価が明らかになるため、彼らは歩みを緩めることはない。」
3. プロダクトを軸に、優秀な開発者を惹きつけるアカデミーを作る
- メディチ家の事例「才能あふれる作り手のパトロン」
「メディチ家はミケランジェロ、ダビンチ、ボッティチェリなど、才能あふれる「作り手」のパトロンとなった。メディチ図書館をはじめ、あらゆるリソースを提供した。メディチ家は「神の啓示」により、人を軸とする学芸や科学を重んじるというビジョンを持ち、積極的に建築やインフラに投資してそのビジョンの実現を目指した。」
- ビジネスでは点数の上限が決まっていない
「現代においてシリコンバレーの有力企業がプラトン・アカデミーと同じことをしているのは、優秀な人材こそ会社にとって最重要の資産と位置付けているからだ。スティーブ・ジョブズは、優秀な作り手は平均的な作り手より 25倍価値があると言った。ザッカーバーグはその違いは 100倍だと言う。マーク・アンドリーセンは 5人の優秀な作り手は、平均的な作り手の 1千人分に相当すると考えている。ビル・ゲイツは 1万倍違うと主張する。それぞれが語る数字の科学的な根拠はないだろうが、これらの発言から卓越したリーダーがいかに優秀な人材を獲得することを意識しているかがわかるだろう。 ジェフ・ベゾスは 2016年、アマゾンの株主向けの手紙にこう書いている。「野球とビジネスの違いは、野球では成果が限定されていることです。バットを振った時、ボールをいかに確実にとらえていようと、その一振りで得られる点数の上限は 4点です。しかし、ビジネスでは打席に立った時、 1千点獲得できるチャンスが時折やってきます。たった一振りでそのようなリターンを得るためには、強く大胆でいることが重要です。」
- 優秀な人は賃金ではなく、使命と衝動のために働く
優秀な人材がいなければ、会社が強く大胆でいることはできない。そして優秀な人は、単に賃金を得るために働くのではなく、働きたいと思える職場を選ぶ。優秀な人材を獲得するには、心に響くミッションが重要だ。「抜群の作り手」は感情より深い、もはや衝動に近いものに突き動かされるものだ。彼らは、着手する仕事が人々や世界に与える影響に関心がある。」
- 言葉ではなくやって見せることで伝える
ザッカーバーグは誰よりもミッションの達成に熱意を傾けているが、それを周囲には、言葉ではなく、やって見せることで伝えている。フェイスブックの内部にも外部にも、自らの行動でビジョンを示す。ザックネットの開発から、「thefacebook.com」の開発に至るまで、他人がただ待ってながめているだけの時間、彼はまず自分から動いた。
- 恐れがなかったら何をするか?
フェイスブックの社内に貼ってあるポスターには「恐れがなかったら何をするか?」と書かれている。ザッカーバーグはこの文章が何を意味するか、自ら体現している。ザッカーバーグは世界中でインターネットを利用できるようにするため、数十億ドルを投資するというリスクを取った。
10億ドルの買収提案を辞退
- ピーター・ティールですら売った方が良いと思ったディールで、「ありえませんよね、こんなところで売るなんて」と言ったという話
会話を始めて数分後、グローブが最初に動いた。「なぜヤフーの10億ドルの買収提案を蹴ったのか?」と率直に聞いた。これはザッカーバーグを軽視したり、彼の決断の重大さを過小評価したりする意図はなく、互いがより深い話をするためのきっかけを作るためのものだった。
フェイスブックがまだ創業間もない頃、いくつもの会社がフェイスブックの買収を検討し、オファーを出していた。2004年から2007年の間、フレンドスター、グーグル、ワシントン・ポスト、バイアコム、マイスペース、ニュースコープ、バイアコム。2回目、NBC、バイアコム3回目、ヤフー、AOL、ヤフー2回目、グーグル2回目、そしてマイクロソフトらがフェイスブックに関心を寄せ、買収及び何らかの提案を持って接触をした。最も噂されたのは、2006年6月のヤフーによる買収提案だ。買収額は10億ドルに上るという話だった。
ベンチャーキャピタリストで元ペイパルのキーパーソン、フェイスブックの役員でもあるピーター・ティールは、早い段階からフェイスブックに出資していた人物だ。彼は、仲間のベンチャーキャピタリスト、ジム・ブライヤーと当時22歳だったザッカーバーグと役員会を開いた時のことをこう振り返る。 2006年7月、当時フェイスブックのユーザー数は800万人~900万人、売上はおよそ2000万ドルで、創業してから2年にも満たない会社に10桁の値札が付き、売却するかどうか検討した時のことだ。 **「私もブライヤーも、この条件で合意してさっさと撤退した方が良いと考えました。けれど、ザッカーバーグは役員会が始まると同時に『形式的なミーティングは手早く終わらせましょう。10分もかけません。ここで会社を売るわけがないですから』といったことを言いました。**ザッカーバーグは、これからフェイスブックにあらゆる機能を追加する予定で、それらのプロダクトを作るためにも会社は売却しないと主張しました(その時フェイスブックは大学以外にも利用対象者を広げる予定で、ニュースフィードのローンチ(立ち上げ)も計画していた)。 『ヤフーには未来が見えていない。よって彼らはまだ存在していないものを正しく評価できていない。フェイスブックの価値を過小評価している』と言ったのです。」 本書を執筆している現時点からフェイスブックの10年の軌跡を振り返ると、ザッカーバーグに先見の明があったのがわかる。2016年時点、ヤフーはフェイスブックの価値を少なくとも300倍見誤っている。しかし当時、世間は若いCEOとフェイスブックの役員の決断を疑問視し、愚かな判断だと嘲笑した。
2016年7月のフェイスブックの役員会で、ザッカーバーグが尊敬するアドバイザーであるティールとブライヤーは、フェイスブックをプロダクトとして売却する道を勧めた。ヤフーの買収提案を受け入れれば、ザッカーバーグは個人で2億5000万ドルを手に入れることができるとも言った。 それに対し、ザッカーバーグはフェイスブックを売却してお金を手に入れたところで、また新たにソーシャルネットワークを立ち上げることに使うだけだと答えた。 彼は今あるサービスを気に入っていて、手放すつもりはなかった。2006年にはすでに、ザッカーバーグは何十年がかりとなる、「世界をよりオープンにつなげる」ミッションに挑むと決意していた。そしてこの10年で、ザッカーバーグはグローブの自伝のタイトルのように、ミッションに向かって大海原を泳ぎきるスタミナがあると証明している。
どの時間軸で考えるかを、頻繁に切り替える
目標を高く設定するほど、それを達成するまでの道のりは長くなり、意志を継続しなければならない期間も長くなる。長ければ長いほど、怠慢が入り込む隙を与える。「これで充分」という緩みが生まれ、「楽観は戦略ではない」と我に返る瞬間が来るだろう。長く事業を続けるほど、すでに得た成功に執着しやすくもなる。いつの間にか悪循環に陥っていて、「これまでやってきたことを繰り返すだけでは、これまでと同じ結果しか得られない」とある日とつぜん事業が停滞していることに気づくかもしれない。
機能か、プロダクトか、会社か、ミッションか。どれを作るべきかに正解などない。 イノベーションは様々な形で存在し、それぞれで必要な期間も異なる。「成功」に決まった定義があるわけでもない。しかし、あなたとあなたの持つアイデアにとって、最適なゴールが何かを明確に意識する必要があるだろう。ミッションは数年で実現することはできないし、プロダクトを形にするのに何年もかけてはいられない。
SNSはモバイルとすこぶる相性が良かった
- 当然スマホ登場前からSNSをやっていて、モバイルシフトがすこぶる相性が良かったために爆伸びした
2006年の時点で、写真を含む短い投稿が上から下に流れるニュースフィードの形式が、親指でスマホ画面を操作し、すきま時間にコンテンツを流し読みするモバイルの使い方とこれほどまでに合致するとは、ザッカーバーグやコックスでさえ予想できなかっただろう。 各ユーザーに自分の友人ネットワーク内で「今何が起きているか」を提示するのに、画面にとめどなく投稿が流れる形とタッチベースのインターフェースがもたらす直感的な操作は、ニュースフィードにとってこれ以上ない完璧な形だった。 安定した地位を確立している2016年から過去を振り返ると、大々的なインターフェースの変遷があったことがわかる。2007年1月、スティーブ・ジョブズがiPhoneのローンチ発表で見せたタッチベースのスクロールがモバイル時代の始まりの合図だった。それまでは、デスクトップPCでウィンドウを使って操作をするのが主流だった。
プロダクトのマジックモーメントとコアプロダクトバリューを明確に意識する
ユーザーに再びプロダクトを使いたいと思ってもらえる体験はどこにあるのか。各プロダクトには、うまく届けられればユーザーが定着し、そうでなければ離れる体験がある。ユーザーがプロダクトを初めて使うとき、最も重要となる瞬間はいつだろうか。 ウーバーのマジック・モーメントは、初めてアプリのボタンでタクシーを呼び出し、その車が指示した場所に到着した瞬間だ。ワッツアップだったら、無料で国際間のSMSやメッセージの送受信ができた瞬間。エアビーアンドビーなら旅先でホテルとは一味違う、個性的で素敵な宿泊先に着いた瞬間だろう。 フェイスブックにとってそれはユーザーが初めてニュースフィードで友人の姿を見る瞬間だ。だからこそ、フェイスブックはユーザーが少しでも早く、その瞬間に到達できるように注力している。
マジック・モーメントでユーザーを惹きつけたなら、次はロイヤリティーを得るために、プロダクトの利用価値を毎日提供し続ける必要がある。フェイスブックでは、常に友人とつながっている感覚が最大の価値であり、それはニュースフィードが中核となって素晴らしい体験を届けている。
危機への対応
- 競合が強い場合には「先にキャズムを超えることこそが、最大の防御」
- とにかくユーザーに求められる良いプロダクトを作ることにフォーカスした
2011年の夏が近づき、グーグルとフェイスブックの対決がいよいよ始まろうとしていた。 この状況下でのザッカーバーグの対応は、彼の物事に対する基本的なアプローチの仕方をよく表している。 ザッカーバーグはこの時もフェイスブックのミッションから目をそらさず、決められたプロダクト計画に沿って、確実にプロダクトを更新してユーザーに届けることに集中していた。これから直面する対決に備え、社員が健全なパラノイア(適度な強迫観念)を持ち、プロダクトをユーザーに届けることだけに集中することを促した。こうした対応は、彼がリーダーシップのロールモデルとするインテルの前CEOアンディー・グローブから学んだことだ。ザッカーバーグはこの時「ロックダウン」を宣言し、実行に移した。ロックダウンとは、社員がオフィスに60日間こもって集中的に開発する期間のことだ。フェイスブックの立ち上げ当初は、特定の大学で広まっていた競合サービスに打ち勝つために度々行っていた。カンファレンスルームの入り口上にある赤いネオンサインが付いた時がロックダウンの合図となっている。
どこまで普及させればMoatになるのか
- ネットワーク効果が効く事業において、キャズム理論がそのまま当てはまる、最初の16%が勝負
実のところ、グーグルプラスとフェイスブックの勝敗はグーグルプラスがローンチする3年前にはすでに決していたと言える。 失敗の原因は、50年以上前に社会学者エベレット・ロジャースの発表した有名な研究で説明できる。これは後にシリコンバレーの作家、ジェフリー・ムーアによってさらに一歩進化している。ロジャースは社会学、文化人類学、地理学にわたる500以上の調査からどのようにイノベーションが社会に波及し、評価され、普及するかを調べ、1962年に発表した『イノベーション普及学(原題: Difusion of Innovations)』で「イノベーター理論※」を提唱した。ロジャースの言う「イノベーション」は多岐にわたる分野の事象を指しており、2010年代のインターネットとソーシャルネットワークの普及など、多くの事象にあてはめることができる。 ロジャースの研究における最も重要な学びは、イノベーションを取り入れるグループは5つに分類できるということだ。どんなイノベーションであろうと、そのイノベーションが広まる対象となる人口における各グループの割合は驚くほど一定している。イノベーターが25%、アーリーアダプター13・5%、アーリーマジョリティ34%、レイトマジョリティ34%、ラガード16%だ。 マーケッターでコンサルタントのジェフリー・ムーアは、1992年に出版した『キャズム(原題:Crossing the Chasm)」でロジャースの研究の一部をさらに一歩進める理論を提唱している。ムーアは、イノベーターとアーリーアダプター(最初の普及率16%)の間、そしてアーリーマジョリティとレイトマジョリティの間には深い溝(キャズム)があるとした。彼は、このキャズムを超える難しさを指摘し、また超えることができたのなら、後から追ってくる競合に対する自然な防御になるとした(キャズムは城の堀のような役割を果たすと考えることができる)。
学術的に聞こえるかもしれないが、フェイスブックというイノベーションが普及対象となるインターネットユーザーの間で広まる様子を検証すれば、この理論通りであったことに気づくだろう。 図814では、フェイスブックは2009年、そのキャズムを超えてl6%の普及率を達成したことがわかる。 2011年までに、世界のインターネットユーザーにおけるアーリーマジョリティのおよそ半分に広まった(アメリカでは全インターネットユーザーの68%、メキシコやインドネシアといった国では90%以上の普及率となった)。つまり、グーグルがグーグルプラスというフェイスブックによく似たプロダクトをローンチした2011年の夏、フェイスブックはコンシューマーベースの奥深くまで浸透していたと言える。ここまで来ると、ユーザーがフェイスブックから他のサービスに移るのは負担になる。さらに、フェイスブックにはネットワーク効果があり、7億人のコンシューマーから得た数ペタバイトのデータによる知見も蓄積されていた。7年という歳月をかけて実名ユーザーのネットワークを確固たるものにしていたのだ。
成功にあぐらをかかず、自社をどうやったら倒せるかを常に考える
- ザッカーバーグは成功にあぐらをかかない
フェイスブックが誕生して8年経った2012年初頭、27歳のザッカーバーグには、自分の成功にあぐらをかく言い訳が十分過ぎるほどあった。フェイスブックには世界に9億人以上の月間ユーザーがいた。ウェブでもモバイルでも世界最大のサービスであり、人々はオンラインで過ごす時間の大半をフェイスブックで過ごしていた。フェイスブックの地位は不動のものとなった。
ザッカーバーグは永遠の学習者だ。彼は貪欲に古典を学び、ハンニバル将軍の戦略に学んだ。チェスにも真剣だ(2014年、ザッカーバーグはチェスの世界王者であるマグヌス・カールセンのレッスンを受け、「学習するのが驚くほど早い」と評されている)。ビジネスでも、アンディー・グローブから健全なパラノイアを、ジェフ・ベゾスから集中力を、ビル・ゲイツから長期で考える視点を学んだ。ザッカーバーグが成功にあぐらをかくことはないのだ。
Instagramのケビン・シストロムとマイク・クリーガーの最初期
2010年初頭、シストロムとクリーガーはあらゆる機能を詰め込んだ位置情報を使うソーシャルネットワークバーブン(Burbn)を手がけていた。しかし、同じ年の7月には、深刻なグロースの問題に直面した。クリーガーによるとバーブンのユーザーは1000人ほどでフォースクエア、スカベンジャーといった競合に押されていたという。また、フェイスブックもスポット機能という位置情報を使った機能を近々リリースする予定だった。オデオはピボットしてツイッターになったが、シストロムとクリーガーもバーブンはオデオのようにピボットすべきだということに気づいていた。 クリーガー自身はこう説明している。「スタートアップにはバランスが重要です。自分のアイデアが世に羽ばたくことをじ切れるほどクレイジーでありながらも、うまくいってないことを示すサインを見過ごさないでいられる程度のクレイジーさでなければならないということです」。
InstagramのMA
- Facebookは送客プラットフォームであったこととザッカーバーグのデータ分析力で、アルファに気づいていた
誰よりもデータ分析を得意とするザッカーバーグは、どこよりも詳しくインスタグラムの動向を注視していた。 インスタグラムはフェイスブックのコネクト・プラットフォームを使って投稿のシェア機能を提供していた。そのためザッカーバーグは、ほぼリアルタイムでインスタグラムのグロースとエンゲージメントの変化を知ることができた。ユーザーがインスタグラムから投稿をシェアする先はフェイスブックが多かったのも有利だった。他社は、インスタグラムが時折公開するデータでアプリのグロースを推し量るしかなかった。彼らにはデータを読む力もなかっただろう。テクノロジー業界でもザッカーバーグのチームほど、こうしたグロースのデータ分析に長けているところはない。また、こうしたデータは株式市場の値動きとは違い、過去のパフォーマンスは未来のパフォーマンスをはっきりと映し出す。少なくとも、アプリが将来たどる道筋を知る大きなヒントとなる。 フェイスブックにとってインスタグラムがぴったりだった理由の1つは、まずフェイスブックは他のどこよりも、インスタグラムが将来たどる道を正確に予想することができたことだ。
- ブレット・テイラーのFriendFeedの買収、Instagramの買収ともに週末の2日で意思決定した、危機感とスピード感
買収についてはほぼ2人で交渉し、48時間後には合意にいたった。同じ週の日曜日、ザッカーバーグはフェイスブックの役員会に買収の報告を行った。ザッカーバーグは議決権の大半を保持しているので、役員会の承認は形式的なものだ。買収を公に発表したのは、4月9日、月曜日のことだった。ザッカーバーグは以前にも、週末の2日で買収を完了したことがある。2009年にフレンドフィードを4750万ドルで買収した時で、これはフェイスブックで後にCTOとなるブレット・テイラーが制作していたサービスだった。しかし、インスグラムの買収金額とスピード、そしてIPOを控えたクワイエット・ピリオドというタイミングでの企業買収は前代未聞だった。これが可能だったのは、フェイスブックの組織構造とザッカーバーグが持っていた危機感と戦略のなせる技だ。
Snapの買収失敗
エヴァン・スピーゲルは買収を断っているが、ザッカーバーグがヤフーの10億ドルの買収提案を断った時と皮肉なほど似た発言を残している。フォーブスの取材で、シュピーゲルは買収とグロースについてこう主張した。 「このようなビジネスを作る機会に恵まれる人は世界でも数人しかいないでしょう。こうした機会と短期的な利益を交換してしまうのはあまり面白いこととは思えません。」 その後スナップチャットは、複数回にわたるプライベートエクイティによる資金調達を経て、評価額はおよそ160億ドルとなった。ウォール・ストリート・ジャーナルは2016年10月、スナップチャットの親会社であるスナップは近々上場すると報じた。早ければ2017年3月にも約250億ドル以上の評価額で上場することが見込まれている(訳注 : その後上場を果たした)。
適材適所で組織のエンゲージメントを高める
- ザッカーバーグとシェリル・サンドバーグのトップ2が自ら実践
エンゲージメントを重視する文化は、フェイスブックの経営陣の働き方にも当てはまる。ザッカーバーグはほとんどの時間をプロダクト戦略と開発に充て、サンドバーグは広告事業のオペレーション、パートナーとの関係構築、コミュニケーション・ポリシーを見るのに使っている。ザッカーバーグは彼と同じような境遇にある他のCEOとは異なり、広告主のカスタマーと関わることは少ない。サンドバーグの場合も、ザッカーバーグが担当するフェイスブックのコンシューマープロダクトに割く時間は限られている。これは彼らが、互いの担当する広告カスタマーやコンシューマープロダクトに関心がなく、その仕事に敬意を払っていないということではない。2人は互いが最も強みを持っている分野にできるだけ多くの時間を割く働き方をしているのだ。 社員のエンゲージメントを重視することで社員に最高の働く環境を、そしてカスタマーにもフェイスブックの生み出す最高の成果物を提供することができる。ゴーラーの「人の強み」に焦点を当てた組織作りにおいて、ザッカーバーグとサンドバーグはこれ以上ないロールモデルだ。彼らを見て、各従業員も自分に最適な仕事を見つけて取り組むようになる。
Facebookですらワンチャンだと思っていた
フェイスブックが人々をつなげることに大成功を収めたことに対してザッカーバーグと同じくらい驚いている人が何人かいる。彼らはミッションの意義を疑っていたわけではない。ただ、2004年に数人のメンバーで作った「thefacebook.com」より先に、マイクロソフトやグーグルといった資本のある大手企業がソーシャル分野でグローバル規模に成功してしまうだろうと考えていたのだ。当時、ザッカーバーグと彼の友人たちは「ピノキオズ・ピザ・アンド・サブス」という、ボストンのハーバードスクエアから1ブロックほど離れた小さなレストランで未来について語り合っていた。ハーバード大学のコンピューターサイエンスの授業でザッカーバーグのクラスメイトだった金康新もその内の1人だ。彼は、フェイスブックでエンジニア部門のリーダーを長年務めることになる人物だ。そこにいる全員が、人々をつなげることは重要であり、それは絶対に将来実現すると信じていた。しかし、それに必要なサービスを作るのは彼らより規模が大きく、すべてが揃った他の大企業だと思っていたのだ。 それならば、フェイスブックはどうやってこの競争に勝てたのだろうか。2014年、フェイスブックが10周年を迎えた時のザッカーバーグの発言から、彼の考えを読み解くことができる。フェイスブックという旅路を進む中で、彼と彼のチームは常にミッションのことを考え、「他の誰よりも、人々をつなげる事を気にかけてきた」と話した。
Whatsup創業者 ジャン・コウムとブライアン・アクトン
ジャン・コウムは目立つことを好まず、地に足の着いた考えを持った人物だ。それには彼の生い立ちが大きく影響していると言えるだろう。1992年、16歳のコウムは共産主義国ウクライナからシリコンバレーへと移住してきた。コウムは食料雑貨店で働き、補助的栄養支援プログラムであるフードスタンプを集める生活を送っていた。癌を患う母親と暮らしていたが、彼女は2000年に亡くなった。コウムの父親もアメリカの土を踏むことなく、1997年にウクライナで亡くなっている。 コウムはサンノゼ州立大学に入学するものの、ヤフーでインフラ開発の仕事に就くため、学位を取得する前に中退した。ヤフーでは、ブライアン・アクトンと出会った。アクトンはその後、コウムのキャリアにおける重要なパートナーとなる。ヤフーの衰退に危機感を覚えた2人は、2007年に仕事を辞め、次の就職先を探していた。どちらもフェイスブックに応募したものの採用には至らなかった。今から思うと実に皮肉なことだ。 コウムはアクトンと2009年11月にワッツアップをローンチする。ワッツアップを開発するきっかけとたのは、コウムが初めて手にしたiPhoneだった。彼は端末にある連絡先とシンプルで安定的なインターネット経由のメッセージ機能を組み合わせることで多くの可能性が開かれることに気づいた。 2012年初頭、ワッツアップのアクティブユーザーは9000万人になった。これを知ったザッカーバーグはコウムに連絡を取り、定期的にミーティングを開くようになった。その中で、フェイスブックによるインスタグラムの買収、そして買収後のインスタグラムの成功がコウムの意思決定に大きな影響を与えた。 注目を浴びるのを望まないコウムと、スタイルを追求し、人前に出ることの多いインスタグラムのケビン・シストロムの性格はまるで違う。しかし、両者とも明確なビジョンを持ち、信頼できる賢いパートナーとビジネスで成功するためにプロダクト開発に専念できる環境を求めていた。2人ともプロダクトを発展させるためにある程度自立した経営を続けることを望んでいたことも共通している。 ザッカーバーグは2014年2月、2年にわたってコウムと信頼関係を築いた後、自宅に彼を招待し、19億ドルでのワッツアップの買収とフェイスブックの役員としての席を彼に提案した。最終的に、コウムとアクトンはこれに合意するに至った。買収から2年が経った2016年2月、4億5000万人だったワッツアップの月間ユーザー数は10億人の大台を超え、毎日420億のメッセージが送受信されるようになった。世界で送信されているSMSの2倍の量だ。メッセージの他に、16億の写真と2億5000万の動画もやりとりされている。わずか57人のエンジニアチームでこれを実現していることを考えると、ワッツアップのチームは凄まじく効率的だと言えるだろう。
CEOは常にさらに未来を見ているパラノイアでなければならない
- ザッカーバーグの新しい波に徹底的に張る姿勢
- 孫さんも「AI以外の話を俺に持ってくるな」と言ったというのが有名だが、それに近い
ザッカーバーグはこの教訓を心に刻んでいる。モバイルの台頭はフェイスブックの成功に不可だった。 ザッカーバーグの「モバイル版プロダクトのスクリーンショットがないのならこのミーティングを即刻中止する」と言い放ったようなモバイルに固執する姿勢は、社内で広く認知されている。フェイスブックは驚異的なユーザー・エンゲージメントを誇り、世界の市場でその地位を確立したが、次の5年から10年にかけても同じようにモバイルが現在の形で主力の媒体であり続け、フェイスブックが栄華を維持できる保証はない。注意深いCEOは、いつでもさらに未来を見ていなければならない。
シリコンバレーという価値観
通常なら考えられないようなレベルのリスクさえ恐れない、失敗を称賛する、という2つの文化がシリコンバレーとその歴史の中核にある。シリコンバレーは臆病者のための場所ではない。シリコンバレーは、クリエイティビティーで現状を革新していこうと意気込む人々のるつぼだ。時代についていけなかった敗者たちの上に、理想を追い求める者たちが新たな世界を作っている。その証拠に、グーグルのキャンパスは、画像処理に優れたコンピューターのメーカーSGI(シリコングラフィックス)のあった場所に建っているし、フェイスブックの拡大し続けるキャンパスは、今は買収され、人々の記憶からも薄れている「ドットコムのドット」と名乗ったサン・マイクロシステムズの跡地にある。シリコンバレーという地の名前の由来となった「シリコン」がこの業界で中心的なものでなくなってきているのも、この失敗を恐れない理念による。に未来に向かって進むことこそがシリコンバレーのシリコンバレーたるゆえんである。今後もこの土地の人々は、市場のニーズと未来に広がるチャンスを掴むために進み続けるだろう。
ソフトウェアの本質は「高速な失敗」
リスクを取ることは必須で、それに失敗はつきものだ。しかし、シリエコンバレーには大きく分けると2つのコンシューマービジネスがあり、リスクや失敗との向き合い方はそれぞれで異なる。アップルやテスラといったハードウェア・メーカーは、より慎重な行動が求められる。新しいカテゴリーの製品を開発するには時間がかかる。また、プロダクト開発に問題があった場合、そこから立ち直るにも時間が必要だ。ハードウェア・メーカーには、大規模なチームを組成したり、複雑な工程を経る製造工場を運営したりするのに多額の資金が必要だ。また、プロダクトを購入するコンシューマーの期待値も高く、ミスは許されない。そのため、ハードウェア・メーカーが打席に立てる回数は限られている。彼らはそうした状況でもできるだけ多くのホームランが打てるよう慎重にならざるをえない。一方、グーグルやフェイスブックといったソフトウェア企業はたいていの場合、インターネットベースのサービスを無料で提供している。彼らに必要なのは、大胆なサービス展開以外の何物でもない。ハードウェアと比べるとリスクは取るに足らないものだ。少人数のメンバーといくらかのコストで迅速にプロトタイプを作ることができる。そのため、この分野での競争は邀しく、競合がたとえ小さな企業だったとしても脅威となる。いつどこからディスラプションが起きてもおかしくない。**2011年にザッカーバーグが話したように「劇的に状況が変わるこの業界で、確実に失敗する戦略はリスクを取らないこと」なのだ。**アップルは、これまで存在しなかったカテゴリーにおける最初の端末を作るのに3年から5年をかけた。テスラも3万5000ドルの電気自動車モデル3を完成させるのに10年の歳月をかけた。一方、グーグルとフェイスブックはいつも新しいことを始めては、どれがうまくいくかを試している。この競争のるつぼの中で、フェイスブックは失敗の受け入れ方を学んだだけでなく、最もうまく失敗を繰り返す企業となった。
- 失敗を意図して起こす設計
フェイスブックでは、失敗は偶然起きるものではない。フェイスブックでは、会社が社員にリスクを取って失敗することを奨励するだけでなく、失敗を体系化している。リスクと失敗は、フェイスブックの組織文化の中に息づいている。キャンパスのいたるところに貼られた何百枚ものポスターは、リスクある行動を取るよう社員に働きかけるためのものだ。「もし、恐れがなかったら何をするか?」「素早く動き、壊していけ」「大胆に失敗せよ」「間違った方向から考えよ」。 社員は組織文化を理解するにとどまらず、行動にも移している。この精神を最もよく表しているのは、**フェイスブックで行われる社内の「ハッカソン」だろう。年に複数回、社員は24時間、仕事の手を止めてハッカソンを行う。**社員は少人数でグループを組み、普段の業務では時間と労力をかけられないプロジェクトのプロトタイプを作成する。これまでハッカソンは開発部門で多く行われていたが、今では他の部門でも行われている。 ハッカソンはフェイスブックの組織文化の核だ。ハッカソンから生まれたプロダクトはザッカーバーグ自身が見て、実際のプロダクトに実装するものを選んでいる。
- CEO自身が文化を実践すること、そして失敗に責任を持つこと
フェイスブックの組織文化において最も重要なのは、ザッカーバーグ自身がそれを体現していることだ。
ザッカーバーグは、リスクを取ってインスタグラム、ワッツアップ、オキュラスVRの買収を決めた。壮大なプロジェクトであるコネクティビティー・ラボや人工知能研究所の創設などもリスクを取った施策だ。 細かいところだと2016年、ザッカーバーグは自宅の家電をコントロールするためのメッセンジャー・ボットを作成している。
同時に、彼は自分の失敗に責任を持っている。フェイスブックで起きるすべてのことに責任を負い、他の上場企業のCEOよりはるかに広い範囲で、リーダーとして失敗の責任を受け入れる姿勢を見せている。フェイスブックのリスクを取り、失敗を恐れない理念はザッカーバーグから始まっているのだ。
- FacebookのBuilding 8のトップだったレギーナ・ドゥーガンの名言
「ここに集まった海賊どもとすべてを覆すプロジェクトに取り組んでいる」
いかに自己を破壊していくか
自分たちの手で壊して、刷新していくことだ。 1980年から1990年代にかけて、インテルがこの基本原理を体現した。コモディティとなったコンピューターメモリ市場から、誕生して間もないマイクロプロセッサの市場へと飛び込んだ。インテルは高性能なプロセッサを開発することで、自分たちがすでに持つ商品のシェアを崩した。そして、この戦略の正しさを世界に証明した。一時期瀕死の状態に陥ったアップルもニッチな市場向けのコンピューターから、ポケットに入れて持ち運べるもっと良いコンピューターの製造開発に移った。そうやって世界で最も価値のある企業に上り詰めたのだ。その過程でアップルは、社名からコンピューターの文言さえ取り除いた。ネットフリックスも自社のDVDレンタルビジネスを壊すことに熱心だった。そのビジネスは、ブロックバスターを絶滅に追い込む立役者だったが、彼らは最初から動画のオンデマンド・ストリーミングサービスの展開を目論んでいた。テスラが提供する3万5000ドルのモデル3も高額なモデルSの売上を奪うものだ。しかし、世界の交通手段そのものを変える目標を実現するためには、そうしたコストは取るに足らない。