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27/ メルカリ 稀代のスタートアップ、野心と焦りと挑戦の5年間

メルカリの創業からの物語ついて書かれた本

メルカリの創業からの物語ついて書かれた本

以下、個人的に印象に残った部分をメモ

初期の楽天でインターンしていた山田氏

当時はまだ社員が20人ほどだった楽天から内定を得るが、入社直前に辞退する。「若気の至りだった」という。

では、スマートフォンでどんなサービスが流行るのか。山田がこの問いを考えるうえで影響を与えた可能性が高いのが、楽天でのインターン経験だ。山田は早稲田大学在学中に楽天から内定をもらい、その後しばらくの間、楽天でインターンとして働いていた。  山田の〝楽天人脈〟に連なるのが、後にゲーム開発会社のグリーをつくる田中良和、就活や新卒採用の口コミサイト「みんなの就職活動日記」の生みの親などとして知られる伊藤将雄である。  ちょうど入れ違いとなった田中に引き継いだプロダクトは、後に「楽天オークション」となる。

メルカリはチームを重視した組織に

山田と少数の幹部を中心に回っていた。大学卒業後に設立し、2005年に初めてベンチャーキャピタルの資金を受け入れたウノウは、「決してワンマンというわけではなかったと思うが、僕と石川(篤)さんの会社だった」  英語版をつくるなどして山田が初めて世界展開を意識したプロダクトである「フォト蔵」の開発を担当した尾藤正人も経営の細部について尋ねると、「そういうことは進太郎と石川さんがやっていたので分からない」と話した。尾藤は「まちつく!」がヒットする前にウノウを去ったこともあり、ストックオプションなどの形で金銭的な対価を得ることはほとんどなかった。

やはりごく一部の経営陣と「その他大勢」という構造の会社だったのである。 レバレッジが効かない組織だった。

「資金はあと数カ月しかもたなかった」。山田は「最悪、必要となったら自分で少し入れるよ」と話していたが、実はあまり気が進まなかった。  以前の反省からチームで運営することが重要と考えており、自分の出資比率ばかりが高くなるのは時計の針を巻き戻すような行為だった。

創業時の出資

創業時、富島は出資金が200万円足りなかったため、山田のポケットマネーを借りて毎月10万円ずつ返していった。

「また失敗しても良い」というメンタリティ

「また失敗しても良いと思えるようになったんですよ」

新たなスタートを切ろうとしている起業家が「失敗してもいいと思える」というのを聞いたことがなかった。 一度エグジットを経験した起業家であれば、なおさら格好悪い失敗は避けたいと思うはずだ。

だが、山田は違っていた。 「世界で使われるインターネットサービスを創る」ことのハードルは決して低くない。 すぐに成功する確率は高くないが、何度か打席に立てばホームランが打てるかもしれない。

ブログとTwitterが創業時の採用に効いた

山田は以前、ブログを熱心に執筆しており、これが人脈を広げる武器となってきた。ウノウのエンジニアが公開していた技術情報のブログも知名度の向上に役立ち、山田と共同創業者となる富島を結びつける役割を果たしている。

「エンジニア募集中」──。会社設立の2週間ほど前、10万人超のフォロワーに向けてつぶやくと、反応があった。具体的に何をするか一切説明していなかったにもかかわらず、興味を持ってくれるエンジニアがいたのだ。

質問魔

議論が白熱して一時間を超えることもざらだった。参加していたほかのエンジニアが退屈することもあったが、お構いなしだ。  山田には質間魔のようなところがある。少しでも理解できないと質間攻めにし、納得できるまで諦めない。

初期のダウンロード数は少なかった

ダウンロード数をみて「友人の数くらいだな」と感想を漏らした。

以前から山田のことを知る数人の貴社がメルカリについて取り上げてくれたが反応はほぼ皆無だった。

プロダクトの改善に加えて、ユナイテッドからのシリーズAで調達した3億円を使ってインターネット広告を始めた結果、ダウンロード数が少しずつ伸びていった。

資金力の勝負

小泉が12億円の調達に強いこだわりを見せたのはミクシィでの経験からだった。

mixiはGREEの後発だったが求人サイト運営事業の収益を集中的に投下した、資金力の差で勝ったと痛感していた。 勝者総取りがインターネットの掟だ。 この資金を使ってテレビCMを仕掛けることになる。

投資家とのリレーションの重要性

資金調達を通じて堀井は実感する。 「メルカリはすでに多くの投資家に声をかけており、資金調達の競争になると分が悪い。」

ミッションとバリューの重要性

プロダクトが強い会社はその成長が組織を牽引していく。自然と組織がまとまるので楽といえば楽だが、逆にプロダクト任せになって人や組織に向き合いきれていなかった。

だからこそ、求心力を高め、維持するための支柱としてミッションとバリューを先ず決めておきたかった。

事業が拡大基調の時は組織の求心力が自然と高まるが、逆回転を始めると一気にきしむ。

社員の離脱も目立つようになる。 「中長期で働いてほしい」 掛川が小泉と話す中でたどり着いた結論だ。

ソースコードの共通化

アメリカ展開の際、開発工数を下げる目的でソースコードを世界共通化にすることを決めた。

米国の都合に合わせてソースコードを変更しようとする度に日本版に影響が出ないかを確認しなくては行けない、逆もまた然りという状況になった。

大規模になった後の社員と経営陣の距離

多くの人に共通していた問題意識は「経営陣が遠い」ことだった。

初期からの幹部や社員は「進太郎さん」と呼んだりしていたが、この頃の新入社員からは山田は神格化されてしまっていた。

一方で、経営陣はまだ初期のスタートアップの感覚で経営していた。 自己認識と他社からの認識が乖離していた。

経営者が暇であること

山田はとにかく細かいことを含めて様々なことに気づくのだ。 山田は「だって僕、基本的にやることないから」「濱ちゃんも速く暇になることで色々気づくようになるよ」と言った。

Last updated on Mar 01, 2023 00:00 JST
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