マネーフォワードの創業物語
友達とは起業するな に対する考え
僕が瀧に渡したリストの顔ぶれは、ソニー時代の同期やかつてマネックスで一緒に働いたことのある元同僚(「現役のマネックス社員には声をかけない」というルールを固く自分自身に課していた)など、みんな僕の直接の知り合いだった。 ときどき、「友達とは起業するな」という主張を見かけるのだが、僕からするとずいぶんと優雅な発想だと感じる。実績どころか形も名前すらないスタートアップを一緒に始める仲間は、昔から人柄や仕事ぶりを知っている人でなければうまくいかない。ちょっとの判断ミスで沈没するリスクがある小舟には、全幅の信頼を置ける仲間、本当に背中を預けられる仲間しか乗せることはできない。少なくとも、僕はそういう感覚だった。 だから、最初から仲間選びには一切の妥協はしなかった。人として信頼できて能力も高く、しかも一緒にいてワクワクできる人じゃないと誘わないと決めていた。
創業メンバーに徹底的にこだわる
実際、この点にこだわったことは大正解だったと思っている。なぜなら、創業間もない会社の命運を左右するのは、創業メンバーのレベルだからだ。創業メンバーの能力や人間としての器が、その会社が初期にどこまで到達できるかを決める。「このメンバーなら絶対に勝てる」と確信を持てる仲間を集められるまで、どんなに時間をかけてでも探すべきだと思う。
この頃に受けた貴重なアドバイスの一つが、ビズリーチ創業者(現ビジョナル社長)の南壮一郎さんからのものだった。
「どうしてもチャレンジしたいなら、週末起業から始めて、定例ミーティングは毎週土曜朝に設定するといい。口では『協力するよ』と言っても、そのうち来なくなる人がほとんどだから、誰が本気かすぐわかる」
会社は終わっても人生は続く
何度も話し合いを重ね、松本さんは僕を送り出してくれた。松本さんは、 「いいか、辻」 と僕の目をまっすぐに見据えてこう言った。 「お前はこれから会社を立ち上げる。確率論的にいうと、お前は失敗するだろう。あくまで確率論だが、会社はつぶれるかもしれない。しかし」 息を呑む僕に、松本さんは続けた。 「しかし、お前の人生は続く。それを忘れないようにしなさい」 今なら、この言葉の温かさがわかる。松本さんは経営の大先輩として、これ以上ない助言をくださった。 経営がうまくいかなくなったとしても、取り繕ったり、嘘をついたり、誰かを 騙したりしてしまえば、人生そのものも終わる。人として恥ずかしくない生き方だけは守りなさい──。
新しい価値を作る
しかし、すでに誰かが提供している価値を、わざわざ自分たちが提供する意味はないと思っている。パイを取り合うことにもあまり興味はない。 僕たちは、新しい価値をつくりたいのだ。誰も見たことがないけれど、誰もが幸せになる価値を。
僕の性格上、他人がせっせと広げたマーケットを奪ったり、壊したりするのはあまり好きじゃない。 日本のビジネス社会においては、喧嘩をすることによって得られるメリットより負のコストのほうが高いのではないだろうかとさえ考えている。
僕は、相手が今、大切にしている何かを奪ってまで、イノベーションを起こしたいとは思わない。それは、結局ユーザーを幸せにするという目的とは違うのでは、と思うからだ。
要は、ユーザーが幸せを感じられる価値を届けることが一番。そのゴールを見失わずに、効果を最大化するには、無理せず継続して、みんなと楽しく取り組める方法がいい。
PMFが先、マネタイズは後
PMFとマネタイズ。この二つの〝順番〟も重要だ。 新しい事業を始めようとするときに、マネタイズの計画から議論をするのはほとんど意味がないと、個人的には思っている。 ユーザーが一人も見つかっていない状態で稼ぎ方の議論をするのは、時間の無駄だ。そんな暇があるなら、まずプロダクトづくりに全力で取り組んで、1分1秒でも早くPMFに到達すること。その次にマネタイズの精度を上げていくことが、長く受け入れられるプロダクトづくりの鉄則ではないだろうか。もちろん、プロダクトづくりの達人ともなれば、両方の要素を満たしてからスタートできるのかもしれない。しかし、Googleにしても、Facebookにしても、使われるサービスをつくるのが先で、マネタイズは後から手法を考え、実行していた。多くのユーザーに使われるサービスをつくることが、結局は大きな収益をあげることを可能にするわけだ。
社長が謝ることの強さ
僕は、謝ることが怖かった。 経営者としての未熟さを、組織の内側に露呈するのが怖かった。「情けない社長だ」と言われるんじゃないかと、不安だった。特に創業して数年の間は、過剰に強がろうとしていた。もともと失敗は恐れないタイプだったけれど、僕を信じて転職してくれた社員たちを思うと、情けない社長になってはいけないと構えてしまっていた。
けれど今は少し考えが変わった。まだ結果が出ていない時期であっても、間違ったら正直に謝るほうがいい。 なぜなら仲間たちも薄々気づいているはずだから。「きっと難しいだろうな」「社長はいつ判断するのかな」と、口には出さなくても、〝やめる勇気〟の発動を予感している。やめるという判断は、本当に難しい。今まで頑張ってくれてきた仲間たちの努力、ユーザーへの期待を考えると、やめるという判断は先延ばししたくなる。 だからこそリーダーが、「やめよう」という判断をし、みんなに自分の意思決定の未熟さを、経営者としての未熟さを謝らなければならない。 そしていざ、その勇気が発動されたときに、「ごめんなさい」と言えるかどうか。それによって、その後の信頼関係や心の距離は変わってくるように思う。 いいときも悪いときも正直であることが大事だ。
意志さえあれば、会社は潰れない
高田馬場の地下1階のルノアールだ。 その話は、ワンルームのオフィスでするわけにはいかなかった。僕が弱気になっていること、どうしていいかわからなくなっていることを、みんなに知られたくなかったからだ。 「このままだと、僕らの会社はつぶれますよね」 これが、僕がワンルームでは口にできなかった、〝現実〟。 「……どうしたら、いいですかね」 仲間と描いた〝夢〟とのギャップに、僕は追い込まれていた。 すると造田先生は、「そうですねえ……」と一瞬考え、そして続けた。 「ねえ辻さん、会社というのは、なかなかつぶれないものですよ。どうしても立ち行かなくなったら、辻さんたちの給料をゼロにして、社員たちには申し訳ないけど辞めてもらってコストを最小限に抑えれば、なんとか生き延びるものです。『つぶさない』という意思さえ持てれば」 造田先生としては、当たり前のことを言っただけなのかもしれない。今、後輩の起業家から、僕が同じように相談を受けたら、きっと同じように答えると思う。だけど当時の僕は、そんなことも考えられなくなっていたのだ。 「そうか……。会社はつぶれないのか……。意思さえ持てれば、会社はつぶれないのか……。強い意思さえ持てば……!」 目の前が急に開けたような気がした。 「とにかく、資金調達を急ぎましょう。辻さん、次は、ベンチャーキャピタルに相談しにいきましょう」 造田先生の前向きな言葉に、僕は涙をこらえながら、ルノアールの階段を駆け上がった。そして、会社をつぶさないこと、夢を現実にすることを、あらためて固く心に決めた。
リーダーは常に明るく
けんもほろろに、出資が決まらない日が続いた。 肩を落として、高田馬場のオフィスまで戻り、玄関の扉を開ける前に、息を吸って両手で顔をこする。少しでも血色を良くするためだ。寝不足と闘いながら、日夜開発に 勤しんでくれている仲間たちに、暗い顔は見せたくなかった。 リーダーが暗い顔をして下を向いていたら、会社全体が暗くなり、良いことは何もない。ツラいときこそ、明るく、鼻歌を歌おう、と決めていた。 おかげで創業期にいたメンバーたちからは、 「辻さんは大変なときでも明るかった」 と今でも言われる。
キレたらそこで、ゲームオーバー
この「キレたら負け」というフレーズは、サイバーエージェントを創業した藤田晋さんの本から得た学びだ。「たとえひどい仕打ちをされたとしても、品性は保て」と藤田さんはいう。 もしあのとき、僕がA氏を前にキレていたら、あっという間にその噂はVC界隈に広まっていただろう。今だからこそわかるが、スタートアップ業界は狭い。「あの起業家はこんなふるまいをした」という情報は一瞬で広まる。著書を通じて重要な教訓を示してくださった藤田さんには、とても感謝している。
自分らしさを生かしたリーダーになる
僕の印象を社員にヒアリングしてもらった。すると、 「何か意思決定をするときに、『○○だったらどうする?』とフラットに聞いてくれる」 という意見が何人かから挙がったらしい。 確かに、僕はしょっちゅう社員に意見を聴く。でも、別にやさしくしたいから話を聞いているわけではない。自分が何でもわかっている完璧な人間だとは思ってもいない。信頼できる仲間の意見が、僕たちのミッションを実現していく上で本当に必要だから、聴いているだけだ。
人から嫌われることを恐れず、敵を蹴散らしながら、這い上がっていく強いリーダーのほうが、あるべき姿ではないのかと不安がよぎることもあったのだ。 でも、あるとき、ボストン コンサルティング グループ日本代表を 11 年務めた御立尚資さん(現在はマネーフォワードの顧問)から、 「辻さんは、嫌われたくない性格を生かした目標設定をすればいいんです。自分自身がcomfortable(快適)に感じるやり方で経営することが、一番長続きするし、無理しないから大事だと思いますよ」
そうか、人から嫌われたくない自分のままでいいんだ。 ありのままの嘘のない自分の強みを発揮できるリーダーを目指していこう。
金のモルモットになる
「金のモルモット」の逸話を聞いたことがあるだろうか。 1958年8月 17 日発行の『週刊朝日』にジャーナリスト・大宅壮一氏が寄稿したコラムで、ソニーの後発としてトランジスタ事業に参入した東芝の生産高がソニーの2倍超に達したことが紹介された。当時、「ソニーは東芝のためにモルモット的役割を果たしたことになる」という一文に、不満を抱いたソニー社員は多かったらしい。 しかし、創業者の一人、井深大氏は「モルモットで結構です」と開き直り、その意義を開拓者であり先駆者であると解釈。「これこそがソニーのフロンティア精神」と提言したと伝えられている。その言葉に深く感銘を受けた社員らが、当時社長だった井深氏に贈呈した像。それが、黄金色に塗装したモルモット像なのだ。 僕たちも、喜んで時代を開拓していくモルモットになりたい。光輝くモルモットになれたら、最高にかっこいいではないか。
批判より提案を、思想から行動へ
日本版ダボス会議とも呼ばれるG1の「批判よりも提案を、思想から行動へ」という言葉が、僕は大好きだ。起業家は、口だけ、批判だけではなく行動、すなわち事業やサービスを通して、世の中を少しでも良くしよう、課題解決をしようとする生き物だ。