EthereumのVitalik Buterin氏の過去のBlogをまとめた書籍
社会的インセンティブを生み出す新しい手段: シニョリッジ
何万年ものあいだ、人類は市場と組織、この二つの選択肢しかもたなかった。だが、そうした状況も、ビットコインやその派生物の登場によって一変しようとしている。というより、今や第三のインセンティブが生まれつつあるといえるかもしれない。通貨である。
もうひとつ、通貨に第四の機能もあることはあまり認識されていないし、その重要性は歴史的にも見過ごされてきた。それが「 通貨発行益」だ。
シニョレッジは、「通貨の市場価値とその内在的価値との差異」と定義することができる。内在的価値とは、通貨が通貨として使われなかった場合の価値のことだ。
非中央集権型で、権威も監督も必要とせず、しかも公益を生み出すインセンティブが実現するからだ。 それも、互いの間で価値交換と価値保存の手段としてビットコインを使う人々からいつの間にか生じる、実体のない「ファントムバリュー」から実現する。
シニョレッジのファントムバリューという考え方を合わせると、新たな「経済の民主主義」ともいうべきものの青写真ができあがる。 シニョレッジ、つまり発行益がなんらかの大義を支える通貨を作り、人はそれぞれの事業で特定の通貨を受け入れるという形で、その大義に賛同を示すことができる。
こうした通貨の使い方は決して新しいものではない。 限定的なコミュニティの中でだけ運用される「社会通貨」というものが、1世紀以上前から存在する。 だが、この数十年を見ると、社会通貨の運動は 20 世紀前半のピーク時と比べて影をひそめている。 最大の理由は、社会通貨がごく狭い範囲で通用する以上の成果をあげられなかったことにあるが、米ドルのようにもっと強固な通貨を伴う金融システムの効率を生かせなかったからでもある。 一方、暗号資産であれば、こうした欠点も一気に解消される。暗号資産は本質的にグローバルであり、ソースコード自体に組み込まれた、きわめて強力なデジタル金融システムという強みがあるからだ。 であれば、社会通貨の運動は今こそ、技術力を背景に強力なカムバックをはたすときかもしれない。 さらには、 19 ~ 20世紀的な役割を大きく超えて、世界経済の強力なメインストリームになる可能性さえ秘めている。
ブロックチェーン技術の価値とキラーアプリ
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2015年4月の投稿
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「キラーユースケースは一番最初に生まれる」
ブロックチェーン技術に「キラーアプリ」は登場しない。 理由は単純、「手の届く果実から摘まれていく」原理だ。 もし仮に、現代社会のインフラストラクチャのうち相当の部分について、ブロックチェーン技術のほうが圧倒的に有利だといえる用途が本当に存在するとしたら、人はとっくにそれを声高に喧伝しているだろう。 昔からある、こんなジョークにも似ているかもしれない。 ある経済学者が、 20ドル紙幣の落とし物を発見するのだが、偽札に違いないと結論する。 本物だったら、とっくに拾われているはずだから、というのだ。 だが、このジョークの場合は状況がいささか違う。 ドル紙幣の場合、探索コストが低いから、たとえ本物である可能性が0.01%しかないとしても、紙幣を拾うのは道理にかなっている。 だがアプリの場合、探索コストがきわめて高くなり、何十億ドルにも相当するインセンティブがある人ならたいてい、もうとっくに探索しているはずなのだ。 そして今のところ、誰でも思いつき、圧倒的な優秀さで他を圧倒したような使い方は、ひとつも登場していない。
それどころか、「キラーアプリ」にいちばん近いものを我々が仮にもてるとすれば、それはすでに登場している機能であり、もうイヤになるくらい派手に語り尽くされているはずだと断定してもいいくらいだ。 たとえば、ウィキリークスとシルクロードの検閲耐性がそれに当たる。
どちらの場合も、ニーズは明白で、経済的余剰の見込みはきわめて大きかった。 ビットコインが登場するまで、ドラッグは人から直に買うしかなかったし、ウィキリークスへの寄付には現金書留を使うしかなかった。 したがって、ビットコインは利便性による膨大な利益をもたらしたのだが、そこに生まれた好機はほぼ一瞬で利用し尽くされた。 今はこれが当てはまる状況ではなく、ブロックチェーン技術の周辺に存在する好機をつかむのは、そう容易なことではなくなっている。
- 新しい技術の需要はロングテールになる
- まず最初にキラーユースケースが生まれる = 最も大きな需要のある一部のドメインで解決策として利用される。これが需要のピーク。
- ただし、そのような一部のドメインはユーザーの数から見るとニッチ集団である。
- それ以外のドメインに少しずつ需要が分散しており、その需要はロングテールの形になる。
では、ロングテールとは何か。 説明が難しくなるのは、ここからだ。 「ロングテール」に当てはまるようなアプリケーションの一覧を示すことはできよう。 だが、ブロックチェーンは必要不可欠なものではなく、個々人にとって利点がそれほど大きいわけでもない。 「ブロックチェーンアプリケーションは過大評価されている。重要なのは通貨としてのビットコインだ」という意見にしても、「ブロックチェーン技術は総じて役に立たない」という立場にしても、それぞれ個々のケースについては、同じ方式を中央集権型のサーバー上でも簡単に実装する方法を無理なく思いつくことができる。 ブロックチェーンガバナンスを法的な契約に置き換え、そのほかにも代替手段を当てはめて、製品を従来のシステムと大差ないものに変えることはできる。 その点に限っては、この考え方は正しい。 こうした場合を考えれば、ブロックチェーンは必要不可欠なものではないからだ。 肝はこの点にある。こうしたアプリケーションは、販売のトップに立つようなものではない。 ウィキリークスやシルクロードも同様だ。 もしトップになるようなものだったら、とっくに実装されていただろう。
ロングテールでは、ブロックチェーンは必要なのではなく、便利なのだ。 仕事に使える他のツールより、わずかに優れているにすぎない。 それでも、それが主流として使われていれば、億単位のユーザーにとって利益になるし、社会にとっての総合的な利益(前掲のグラフで、網掛け部分の面積に当たる)は、ずっと大きいものになる。
このような論法に近い喩えとしては、「オープンソースのキラーアプリとは何だ?」という反語めいた疑問を考えてみるといいだろう。 オープンソースが社会にとって良いものであるのは明らかで、世界中で膨大な数のソフトウェアに利用されているが、それでもこの疑問に答えるのは難しい。 その理由も同じことだ。キラーアプリなどは存在せず、アプリケーションのリストは延々と続くロングテールになる。 基本的には、思いつくソフトウェアはほぼどれもそうで、特に基盤となるライブラリは無数のプロジェクトで繰り返し再利用されている。