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34/ Shoe Dog

2017年にナイキ共同創業者フィル・ナイト氏によって書かれたナイキの創業物語本

2017年にナイキ共同創業者フィル・ナイト氏によって書かれたナイキの創業物語本

フィル・ナイト氏は1938年生まれ。 スタンフォード大学院MBAを卒業後、陸上少年だったナイト氏は日本のスニーカーを売るというビジョンを持って父の援助のもと、世界一周の旅に出る。 1962年 24歳のとき日本の神戸に立ち寄った際にシューズメーカーオニツカのオニツカタイガーというシューズと出会い、米国でのオニツカタイガーの販売権を得る。

Shoe Dogでは、始まりの年1962年から1980年までの18年間のナイキの歴史が詳細に描かれている。

反面教師だった父の援助を得て世界一周の旅へ

自分も若かった頃にもっと旅をすればよかったと後悔していると言ったのだ。しかも資金提供までしてくれる。

私の旅は、そして馬鹿げたアイデアは、父とは違う人間になる確かな方法だった。そう、世間的に立派でない人間だ。あるいは立派であることに執着しない人間になりたかったのかもしれない。

ハッタリで勝ち取ったオニツカタイガーの販売権

「ミスターナイト、何という会社にお勤めですか」

「ああ、それはですね」と言いながらアドレナリンが体中を流れた。逃げて身を隠したい気分になった。 … 陸上競技で勝ち取ったブルーリボンも壁に飾られている。人生で胸を張って自慢できるものだ。 「そうだ、ブルーリボンだ」「みなさん、私はオレゴン州ポートランドのブルーリボン・スポーツの代表です」

前払金の50ドルも父親に送ってもらった。

バウワーマンを共同創業者に

  • オレゴン大学時代の陸上部の伝説的コーチ、バウワーマンにタイガーシューズを売り込みに行ったところ、ビジネスに加えて欲しいと言われ、「フィフティ・フィフティ」で共同創業者になった

キャッシュを稼ぐために会計士として働く

直近の配送は今どこまで来ているか聞いた。返事は決まって頭にくるほど曖昧だった。「あともう数日で」。救急の911番に電話したのに、電話の向こうで相手はあくびしているみたいなものだ。  こうした問題、つまりブルーリボンの先の見えない未来を考えて、私は本業を持った方がいい、すべてがうまく行かなくなった時に頼れる安心なものがあった方がいいと判断した。ジョンソンがブルーリボンの専属になり、規模を広げようとしていた頃だ。  その頃、私は公認会計士試験の4つの部門すべてに合格した。そこで試験の結果と履歴書を複数の地元の会社に送り、3、4社と面談し、プライス・ウォーターハウスに就職した。自分の気持ちを押し殺して正規の会計士になったのだ。もう後戻りはできない。その年の申告では、私の肩書きは自営業やオーナー、起業家ではなく、フィリップ・H・ナイト、会計士ということになった。 プライス・ウォーターハウス  会計士として明け暮れる毎日は、苦にはならなかった。手始めに、給料を支障のない分だけブルーリボンの口座に移し、貴重な純資産を膨らませ、会社のキャッシュバランスを吊り上げた。

失敗の不安との向き合い方

ブルーリボンが破産したら、私は文無しになり、打ち砕かれる。だが私にはかけがえのない知恵がある。それを生かして次のビジネスを立ち上げてみせる。知恵は無形の財産だが財産に変わりはないし、それさえあればリスクを背負っていけるのだ。  いざ自分のビジネスを立ち上げれば、人生の他のリスク、たとえば結婚、ラスベガスのギャンブル、アリゲーターとのレスリングなど、たいしたリスクではないと思えてくる。失敗するならするでもいい。さっさと失敗して、それを教訓として一からやり直す時間や年月が持てればいい。ゴールを設定することは得意ではないが、ブルーリボンのゴールは毎日私の頭の中で点滅し続ける。失敗するならさっさと失敗しろという言葉を何度も心の中で唱えた。

ナイキの誕生

  • ブルーリボンの乗っ取り画策や販売代理店のブルーリボンからの乗り換えをオニツカが画策するなどのごたごたがあり、独自ブランドを立ち上げることになり、NIKEが生まれた。

Shoe Dog

シュードッグとは靴の製造、販売、購入、デザインなどすべてに身を捧げる人間のことだ。靴の商売に長く関わり懸命に身を捧げ、靴以外のことは何も考えず何も話さない。そんな人間同士が、互いにそう呼び合っている。

商品が国境を越えれば、兵士が国境を越えることはない

私は1960年代に世界を回っている時に目の当たりにした貧困をいつも思い出す。その時に悟ったのは、ただ1つの解決策は単純労働であり、それを多く提供することだ。この理論は私の発案ではない。オレゴンでもスタンフォードでも、これまで会った経済学の教授たちが皆言っていたことであり、その後私が見たり読んだりしたものすべてがその裏づけとなっている。国際貿易は常に当事国双方に利益をもたらす。  もう1つ私がこうした教授たちから何度も聞いた話は、古い格言だ。「商品が国境を越えれば、兵士が国境を越えることはない」。私は常々ビジネスは銃弾のない戦争だと言ってきたが、この格言はまさに戦争に対する防波堤だ。貿易は共存と協力の道であり、平和は繁栄によって成立する。だからこそベトナム戦争の忌まわしい記憶が残っていても、いつの日かサイゴンやその周囲にナイキの工場を作ろうと私は誓った。

所感

  • 「父を反面教師にして、世界一周の旅へ飛び出した。何度か帰って普通の人生を歩もうと思った」「会社すらない状態でハッタリでオニツカタイガーの販売権を取得した」「バウワーマンコーチにスニーカーを買って欲しいと持ちかけたらたまたま共同創業者になった」「途中、キャッシュを稼ぐために会計士として就職した」など現在のナイキからは想像できないようなエピソードが沢山あり、非常に面白かった
  • 「ソニーは今日のアップルのような会社であり、ナイト氏もナイキをソニーのような会社にしたいとお手本にしていた」など1960年代、70年代の日本の世界経済の中での輝きが各所から感じられた。
Last updated on Apr 19, 2023 00:00 JST
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