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41/ 井深大と盛田昭夫

SONY創業者の井深大氏と盛田昭夫氏の人生について側近/取締役であった郡山氏の目線から書かれた本

SONY創業者の井深大氏と盛田昭夫氏の人生について側近/取締役であった郡山氏の目線から書かれた本

「技術と思想の井深」と「販売と実行の盛田」

二人の役割分担は、業務としては「研究開発は井深、それ以外の経営全般は盛田」となる。

しかし私は別の見方から、「胸から上が井深さん、胃袋から下が盛田さん」と表現している。 つまり、 経営の哲学やコンセプトといった頭の部分、あるいは志といったハートの部分は井深さん、みんなが食べていけるといった胃袋から下の部分は盛田さん。 小難しくいえば、形而上の部分が井深さん、形而下の部分が盛田さんだ。

製品だけでなく、事業や組織についても、井深さんのコンセプトがいつも先にあった。井深さんの「自由闊達にして愉快なる理想工場」を最も深く理解し、実現していったのが盛田さんということだ。

家庭用VTRの販売は一筋縄ではいかなかった。60年前は一般家庭でテレビ番組の録画が必要とされているようには思えなかった。 だが、盛田さんは「井深さんが売れると言ったものは必ず売れる」と、精力的に営業活動を進めた。

ソニースピリッツ

未来志向

とくに井深さんは「時代が変われば、人間も価値観も変わる」とよく話していた。 創業時に自分がまとめた「設立趣意書」について、後年「あんなものをありがたがる会社に将来はないよ」と言ったほどだ。井深さんにとって、ソニーが時代とともに変化するのは当然のことだった。

「ソニーの未来は、新時代の若者に任せている。潰れようがどうしようが、私は一切口を出さない」

井深さんは、小さい子どものいる社員を早く帰らせることがあった。 「会社の将来と日本の将来、どっちが大切かといったら、日本の将来に決まっているじゃないか。会社の仕事はいいから、早く帰って子どもの面倒を見てあげなさい」  こうした言葉にも、会社よりも個人を大切にする「井深イズム」が表れている。

個人の尊重

個性の尊重、人格主義が「井深イズム」の根底にある。ソニーの経営方針には〈一切の秩序を実力本位、人格主義の上に置き、個人の技能を最大限度に発揮せしむ〉という一節がある。 個人が尊重されなくては、一人ひとりの力が発揮される会社にはならない、ということだ。

「設立趣意書」の〈自由闊達にして愉快なる理想工場の建設〉もよく知られたフレーズである。

失敗しないということは挑戦が足りていない

ソニーでは、チャレンジした結果なら、大失敗だろうと咎めないというカルチャーがあった。実際に大失敗した新製品、新事業が山ほどあるし、経歴を見たら成功より失敗のほうが多い役員は何人もいた。

技術の隙間で"誰もやっていないこと"をやる

大きな会社と同じことをやっていたのでは、われわれはかなわない。しかし、技術の隙間はいくらでもある。

第一に、ソニーは人の真似をしないということでしょう。 第二には、なんでもかんでも作るというのではなく、出すからには人々にピンとくるものをピンとくる様な方法で出すということでしょう。

井深さんは「誰もやらないこと」にとにかくこだわった。商売人の発想ではなく、根っからの発明家なのだ。

その他エピソード

井深氏の自由すぎる性格

秘書を通して呼んだことを忘れているのだ。井深さんがいないこともあった。 あるいは、井深さんが話しはじめたと思ったら、急に「あ、そうだ」と何かを思い立ち、さっと部屋を出ていってしまう。 いくら待っても戻ってこないから、私はまた職場に帰る……といったこともあった。 井深さんは、新入社員の私から見ても、かなり自由すぎるところがあった。経営者というより、天才発明家の雰囲気だった。

井深さんはそうやって、おもしろそうだと思ったらすぐに飛びつくところがあった。自分の興味が向かったら、好奇心を抑えられない感じだった

井深さんのおもしろいところは、新製品が完成し、これから量産して販売するという段階になると、もう興味を失うことだ。

井深氏の個人ユーザーに対するこだわり

井深さんは常に個人ユーザーを意識していた。業務用の製品が市場に必要だとしても、それは他社に任せておけばいい、ソニーがやることではない、というのが井深さんのポリシーだった。 戦後の日本人のどん底生活を豊かにするために自分たちの技術を活かすという視点から井深さんのものづくりは出発している。

井深氏のカリスマ性の原点

井深さんは温厚な人柄で、他人の悪口は言わないし、いつもニコニコしていた。 仕事には厳しい人だったが、部下を頭ごなしに叱りつけることはない。 とはいえ、温厚な人柄だけで、まわりは何かしてあげたいとは思わないだろう。

最大の理由は、井深さんの言動には「私」がないことだった。私利私欲というものがまったく感じられない。 井深さん本人が得か損かの話ではなく、また特定の誰かに配慮しているわけでもない。 強いていえば、井深さんの頭には「世界」とか「人類」とか「社会」といったことが常にあるように感じられた

井深氏の挨拶も不要という極端な合理主義

井深さんは「社内で挨拶は不要」と挨拶を撤廃したほどなのだ。 出社したときの「おはようございます」も、帰るときの「お先に失礼します」も言わない。挨拶を返すだけでも、思考が中断して手が止まる。 そんなヒマがあったら、仕事を続けたほうがいい というのだ。 このあたりの合理性は徹底していた。もちろん、上司にお中元やお歳暮を贈ることはなかったし、社員の間で年賀状のやりとりもなかった。

盛田氏のシンプルな採用哲学

盛田さんは「おもしろい奴だ」と思うと、すぐに採用する癖があった。入社後に役立たずだと現場から文句が出たケースも少なくない。私自身も、盛田さんが採用した〝おもしろい人材〟に苦労させられた経験がある。

盛田氏のマイナス思考からくる危機管理

盛田さんは危機的状況に陥ると、自ら陣頭指揮をとるのが常だった。真っ先に飛び出して火消しに当たる。部下に任せて逃げだすようなことはなかった。

盛田さんが危機や逆境に強かったのは、基本的にマイナス思考だったからだ。「ビジネスに失敗はつきもの」「うまくいかないのがビジネスの本質」 が前提だった。

盛田さんは「ビジネスでは誰も信用しちゃいかん」 が口癖のひとつだった。約束したつもりでも、相手は気が変わるものだし、自己の利益を優先する。「相手を責めるのは間違いだ。信用してだまされるほうが悪い」 と盛田さんは私たち部下を教育していた。

役職呼びをしない文化

  • (当時としては珍しい) 役職に関わらず「さん付け」で呼び、親密度が増してくると「くん付け」になる文化

ソニーでは、私が入社した一九五〇年代から、お互いに「さん付け」で呼び合っていた。 「井深社長」と呼びかけることはなく、新入社員でも「井深さん」だった。 役職で呼び合うのは上下関係を意識させるからだ。 これには、井深さんが 序列や上下関係を嫌った ことが関係している。

Last updated on Jun 07, 2023 00:00 JST
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