ランディ・パウシュ氏の最後の講義について書いた本
人生を終えるときに後悔するのは、自分がやってきたことではない、やらなかったことです。
時間を明確に管理する
- 時間をお金と同じように明確に管理
僕は人生を通してずっと、時間は限られているのだと強く意識してきた。 いろいろと論理的すぎるのは自分でも認めるが、僕の好ましい執念のひとつは時間をうまく管理することだと、固く信じている。
僕は、見当違いの細かいことに時間を費やすなと強調する。「手すりの裏側をどんなに磨いても意味はない」からだ。
計画はいつでも変えられるが、計画がなければ変えることもできない
僕は「やるべきことリスト」の効果を信頼している。 リストをつくると、人生を細かいステップに分けて考えやすい。
いちばん役に立つ「やるべきことリスト」は、大きな仕事を細かいステップに分けることだ。
- 電話は立ってする
電話中は立っているほうが、話を早くすませたくなる
カッコよくあるより真面目であれ
僕はいつも、格好いい人よりまじめな人を高く評価する。格好いいのは一時的だが、まじめさは長つづきする。 まじめさは、かなり過小評価されている。まじめさは本質から生まれるのに対し、格好よさは表面で自分を印象づけようとするものだ。
まじめな人と言われて思い浮かぶのは、一生懸命に技能を身につけ、イーグルスカウトに昇格するボーイスカウトだ。
人の一番良いところを見つける
これはディズニー・イマジニアリングの僕の英雄、ジョン・スノッディから、すばらしい表現で教わった助言だ。「十分に時間をかけて待っていれば、相手はきみを驚かせて感動させるだろう」 だれかにイライラしたり、腹が立ったりするのは、その人に十分な時間を与えていないだけかもしれない。 ジョンは僕に、この考え方はかなり忍耐が必要になるときもあると忠告した。何年も待たなければいけないかもしれない。 「それでも最後には、いいところを見せてくれるだろう。ほとんどすべての人に長所はある。とにかく待つことだ。
経験とは失敗である
経験とは、求めていたものを手に入れられなかったときに、手に入るものだ。
レンガの壁にぶつかったときはいつも、失望したときはいつも、考える価値のある言葉だ。失敗は歓迎できるだけでなく、必要不可欠なのだと思いださせてくれる。
夢を実現させようとすれば、壁にぶつかるときもある。ぶつかるときのほうが多いかもしれない。でも、壁は私たちの行く手をさえぎるためにあるのではなく、その夢をどれだけ真剣に追い求めているかを気づかせるためにあるのだ。
どんなときも準備を怠らない
自分がどんな状況に立たされてもいいように準備をしておかなければならないと、僕はいつも思ってきた。
家を出るときは、何をもって行くか考える。講義のときは、どんな質問が出るか事前に考える。
- 常に否定的に考えて最悪のケースに備えているから楽観的になれる
準備をするもうひとつの方法は、否定的に考えることだ。 もちろん、僕はかなりの楽観主義者だ。それでも何か決断を下すときは、よく最悪のシナリオを想像する。
楽観的になれる理由のひとつは、不測の事態に備えているからだ。 僕が心配していないことはたくさんある。 そのことが起きたときのために心積もりがあるからだ。 「荒野に分け入るときに頼りにできるものは、自分がもって行ったものだけだ」
お金をもち歩こう。修理用具を身近に置いておこう。オオカミが来た場合を想定しよう。準備を怠るな。
無理を承知でとにかく頼んでみる
まずは頼んでみよう。
「もちろん」という返事が返ってくる場合は、あなたが思っているより多い。
まずは自分がマスクを付ける
人の世話をすることに関する最高のアドバイスとして、飛行機の客室乗務員の言葉を二人とも忘れないようにしている。
「周りの人を手伝う前に、自分が酸素マスクを着けてください」
面倒見のいいジェイは、自分の面倒を見るのをよく忘れる。 肉体的にも精神的にも疲れきったら、だれのことも助けられなくなる。 幼い子供の世話はとくにそうだ。 だから、一日のうちのたとえわずかな時間でも、一人になって自分の充電をすることは、弱いことでも利己的なことでもない。 親としての僕の経験では、小さな子供がそばにいながら、元気を回復することはむずかしい。 自分を優先させる時間も必要になると、ジェイもわかっている。