ベンチャーキャピタルの歴史について書いた本
ベンチャーキャピタルの重要性
- シリコンバレーがイノベーションの中心地になったのは文化等の問題ではなく「ベンチャーキャピタルのネットワーク」があったため
シリコンバレーが優越している理由を文化に求めるあいまいな説明を拒否し、より説得力のある要因を探した。 そして、最終的にシリコンバレーの優位性、すなわち地球上のあらゆる場所からやり手の起業家たちを吸引する能力は、そこに集まるベンチャーキャピタルによるところが大きいと見なすようになった。
ベンチャー企業向けの投資資金は、特有の性質を持つお金で、リスクを取ることと親和性があり、一般にその企業の経営に非常に深く関与する形で提供される。
私が「解放の資本」とも呼ぶベンチャーキャピタルによって、イノベーターたちがそれまで所属していた階層的な組織を辞めて、自分のスタートアップを興せるようになったのである。
合理的ではない人々が世界を切り開く
- サン・マイクロシステムズの共同創業者でKhosla Venturesのビノッド・コースラは「実現しそうにないこと」をより評価する
「すべての進歩は合理的ではない人物や創造的な意味で適応障害のある人物にかかっている 4」。また、「ほとんどの人々は、実現しそうにないアイデアを重要ではないと考える」とした上で、好んで次のように加えた。「しかし、重要なことはただ一つだけ、実現しそうにない何かだ。」
コースラに売り込む時には、漸進的な発明のカテゴリーに分類されないようにすることが望まれた。 コースラは過激な夢を求めた。 より大胆で、より実現しなさそうなほうが、より評価された。
挑戦して失敗することと、挑戦すること自体に失敗することのどちらが望ましいだろうか。
合理的な人々、すなわちうまく順応している人々や傲慢でも無邪気でもない人々は、人生における重要な任務に取り組もうともせずに、いつも失敗している。
本当に世の中を変えるアイデアは、救世主のような発明家たちが、最初に頭の中に思いついたときには、とんでもないものに見えるものだ。
これに対し、成功の可能性が高いと見込まれているプロジェクトに栄光はない。 言葉の定義からして、人類の苦境を変えそうにないからだ。
あらゆる蓋然性を分析し、あらゆるリスクを管理する人々に支配された成熟した快適な社会は、予見できない明日と折り合いをつけなければならない。
未来はベンチャーキャピタルが支援する企業が繰り返し実験することによって"発見"できる。“予測"することなど不可能である。
では、どのような種類の実験が実を結びやすいのだろう。 我々の多くは、それぞれの分野の専門家が知のフロンティアを切り開くと考えてしまいがちだ。 専門家は漸進的な進歩を最ももたらしそうであり、抜本的な見直しはアウトサイダーが持ち込む傾向にある。
「もし私が製造業の会社を興すなら、製造業のCEOは不要だ。私は、本当に賢い人に仮定を根本から考え直してもらいたい。」
PCは大化けすると思われていた
アップルはベンチャーキャピタルにとって格好の投資先の候補だったように見える。 テクノロジーの世界で次に大化けする可能性があるのは、パーソナル・コンピューター(PC)だろうと数多くの関係者が認識していたからだ。 実際、企業ではゼロックスのパロアルト研究所(PARC)がPCをこの時代にぴったりの「機が熟したアイデア」と位置づけ、マウスやグラフィカル・インターフェイスを備えたプロトタイプを作製した。
インテルとナショナル・セミコンダクターもそれぞれPCの生産を検討した。 スティーブ・ウォズニアックは当時の所属先であるヒューレット・パッカード(HP)に2度、「アップルⅠ」の設計を提案したほどだった。 しかし、これら4社はことごとくPCを作らないと決めた。 経営学者のクレイトン・クリステンセンが言うところの「イノベーターのジレンマ」が妨げとなった。 ゼロックスはコンピューター化されたオフィスが中核事業の複写機ビジネスに悪影響を及ぼすことを懸念した。 インテルとナショナル・セミコンダクターはコンピューター製造への進出が半導体の最上位の顧客である既存のコンピューター・メーカーとの対立をもたらすことを恐れた。 HPは安価な家庭向けコンピューターを作れば、 15 万ドル前後で販売している上位機種の価値を損ねると憂慮した。 4社ともあまりに現状を維持することの利益が大きすぎて、それを混乱させるリスクを取れなかった。 その結果生じている空白を埋めるスタートアップは、ベンチャーキャピタリストにとって、明らかに賭けるに値する対象だった。 それでも、アップルが資金調達に乗り出したとき、ベンチャーキャピタル業界の花形的な人物たちは好機と受け止めず、最も優秀なベンチャーキャピタリストたちでさえ、大きく間違えてしまう可能性があることを証明した。
VCネットワークに育てられたApple
- 人づてで大物にコンタクトするも相手にされなかった
バレンタインを訪問することになった経緯こそがネットワークが持つ力を示していた。 ノーラン・ブッシュネルはアップルへの支援を拒みつつも、そのダメージが致命的なものとならないようにするため、アタリを助けてくれたベンチャーキャピタリストであるバレンタインをジョブズに紹介した。 同時期にジョブズはシリコンバレーでマーケティングの第一人者と目されていたレジス・マッケンナにもアプローチした。 ジョブズはマッケンナの会社に広告を含む製品の販促サービスを依頼する対価として 20%という相当な比率のアップル株の譲渡を提示した。 しかし、マッケンナは、まだ何もないスタートアップの 20%の持ち分を得ても、ほぼ無価値だろうという反応だった。 それでもマッケンナはブッシュネルと同様に、別の人物につないで、拒否が大打撃にならないよう手加減した。 その人物とは、またもドン・バレンタインだった。
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この出会いのあと、バレンタインは面談を勧めたレジス・マッケンナに怒りをぶつけた。「人類の中から、よくもまあ(ろくに事業計画を練ってもいない)あの反逆者たちを私のもとに訪ねさせてくれたな」と抗議した。
- インナー・サークルのエンジェル投資家がAppleの転機となった
マークラはベンチャーキャピタリストではない。 彼は、ほぼ間違いなくシリコンバレー初の「エンジェル投資家」だった。 一つのスタートアップで成功を収めてお金持ちとなり、その富と経験を、より多くのスタートアップで再利用する人々のことだ。 ただし、マークラが持ち込んだ最も重要な要素は、彼の人脈だった。 フェアチャイルドとインテル出身の彼は、シリコンバレーの魅力的なインナーサークルのメンバーでもある。 マークラがジョブズとウォズニアックと組んだからには、アップルもその一員となった。
- アップルが「コンピュータはオタクのマーケットを大きく超えない」と考えていたエピソード
「市場規模はどのくらいかね」。彼はウォズニアックに質問した。 「ざっと100万台です」とウォズニアックは答えた。 「その根拠は」 「ええと、アマチュア無線を楽しむ人々が100万人います。コンピューターはこのアマチュア無線より人気です。
ヤフーの広告ビジネスモデルを見出したマイケル・モーリッツ
ベンチャーキャピタリストたちから資金を調達するが、顧客には無償で製品を提供する――。モーリッツにはヤフーが意図していたこのやり方の先例を思い浮かべることはできなかった 8。しかし、既存の枠組みを掘り下げることをやめて、「水平思考」で少し発想を広げると、ヤフー方式が機能することにモーリッツは気づいた。彼の出身であるメディア産業では、既に大きくなっている企業がまさにヤフーのやり方を実践していた。ラジオ局もテレビ・ネットワークも無料でニュースや番組を放送し、その一方で広告主に料金を請求して利益を上げていた。さらに、メディアの関係者たちは、気の利いた名前をつけて陽気な筋書きの物語を提供していた。不真面目と利益は矛盾しなかった。この類似性を踏まえて、モーリッツはヤフーの構図をドレイパーよりもしっかりと把握した。モーリッツは単にヤフーのサービスを高く評価しただけでなく、インターネットをめぐる今後のビジネス・モデルを理解した。
孫正義のヤフー巨額出資が変えたベンチャー投資の手法
ヤフー側のチームが結論を下す前に、孫はまったく予想外の行動に出た。彼はモーリッツと創業者たちにヤフーの主な競争相手の名前を挙げてほしいと頼んだ。 「エキサイトとライコスです」と彼らは答えた。 孫は連れてきた補佐役の1人に「それらの名前を書き留めてくれ」と命じた。 孫はモーリッツと創業者たちのほうに向き直った。「私はヤフーに出資しない場合、お金をエキサイトに投じる。そして、あなたたちを叩きのめす」と告げた。 ヤンとファイロは、とりわけモーリッツは孫に威嚇されて、はっと気づいた。頼りになるインターネットのガイド役を目指す競争では勝者は1社しかいないだろう。それゆえ、1億ドルもの小切手を切ることができる投資家は、誰が競争に勝つかを決めてしまう。
孫には即座に1億5000万ドル余りの含み益が転がり込んだ。モーリッツは後年、この光景が与えた心理的な影響を次のように思い起こした。セコイアではドン・バレンタインがシスコへの賭けで得た1億ドルが単一の投資案件から上がったリターンの過去最高額であり、ヤフーの株式公開まで超えたことはなかった。「1件で1億ドルを突破することなど、どれほど長い時間が経過してもお目にかかれないのではないか」と考えていたという 30。 ところが、孫は上場直前にヤフー株を購入し、1億ドルの大台にわずか数週間で載せてしまった。しかも、何もないところから新たに経営陣を組み立てるといった、ベンチャーキャピタルなら体験する心痛を感じることなく、記録を塗り替えた。ベンチャー投資のビジネスは様変わりした。
グーグルで逆転した起業家と投資家の力関係
エンジェル投資家の出現と、このビジネスへの大量の資金流入によって、起業家とVCの間の力関係が変化した。
- Googleは圧倒的な技術優位性を持っていたため、相当例外的な振る舞いを許されていた
現状はほとんど滑稽だった。 ペイジは自らをグーグルのCEOで最高財務責任者(CFO)と称していた。 ブリンは社長兼会長の肩書を主張していた。 役職名の多さは、経営経験の乏しさの表れだった。 マイクロソフトに匹敵する会社を作り上げるには、経験豊富なCEOの就任が不可欠だった。 資金調達の際にブリンとペイジは、将来のまだ確定していない時期に新たなCEOを外部から起用することに同意した。 しかし数カ月後、2人はドーアに「考えを変えました。我々2人で会社を運営できると本当に考えています」と告げた。
グーグルの2人は外部からのCEOを招きたいと考え、既に候補を特定していた。彼らの要求基準を満たしたのは1人だけだった。 「我々はスティーブ・ジョブズが好きです」とブリンとペイジは報告した。ジョブズが招きに応じることはない。
その時代で最も有名なシリコンバレーのスターとなったグーグルは、スタートアップの資金調達方法に実に大きな影響を及ぼした。 起業家は初期の資本の調達先として、続々とエンジェル投資家に目を向けた。 彼らはあとから来るシリーズAの投資家に法外なお金を支払うよう強要した。 キュームのモデルを排除し、自分たちのやり方で会社を運営することを好んだ。 さらに、株主による民主主義を骨抜きにした。 要するに、起業家はあらゆる方策を駆使して、より多くの富と、そして重要なことに、より多くの権力を手中にすることを確実にしたのである。 ベンチャーキャピタルは新たな課題に直面した。