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40/ 限界費用ゼロ社会

ジェレミー・リフキン氏が2015年に提唱した限界費用ゼロ社会についての本

ジェレミー・リフキン氏が2015年に提唱した限界費用ゼロ社会についての本

自身の原点とも言える本を改めて読み返したメモ

市場資本主義からのパラダイムシフト

  • 市場資本主義が推し進めているのは「生産性の向上」 → 「生産性が極限まで高まる」とどうなるか? → モノの生産にかかるコストがゼロになり、(独占や寡占がなければ)製品やサービスがほとんど無料になる
  • 要は「テクノロジーや機械が全てのモノを生産してくれる社会」

資本主義の衰退は敵対勢力の手によってもたらされつつあるわけではない。 資本主義体制を蝕んでいるのは、それを支配している稼働ロジックそのものの劇的な成功の結果にほかならない

フランスの哲学者ジャン・パティスト・セーは、「製品は生み出されるやいなや、それ自体の価値の限度まで、他の製品の市場を創出する。……製品を一つ創出すれば、他の製品のはけ口がただちに開ける」と主張した〔製品が生み出されると、その製品の価値に等しい所得が生産に関与した者にもたらされ、その所得がすべて支出に回るので、それに見合った新たな製品の需要が生まれるという考え方〕。

後の世代の新古典派経済学者たちはセーの法則を洗練し、新しいテクノロジーは生産性を上げ、売り手が前より安い単価でより多くの財を生産するのを可能にすると主張した。

前より安い財がより多く供給されれば、今度はそれに対する需要が生まれ、その過程で、競争者は独自のテクノロジーを発明して生産性を上げ、自らの財をさらに安く販売し、顧客を取り戻すか、新たな顧客を惹きつけるか、(あるいはその両方を)せざるをえなくなる。 この過程全体が永久機関のように稼働する。新たなテクノロジーと生産性向上によって価格が下がると、消費者の手元にはお金が残り、それを別の用途に使えるようになり、こうして売り手はまた新たな競争へと駆り立てられる。

資本主義体制の稼働ロジックが、あらゆる人の想像を絶するまでの成功を収め、この競争過程の結果としてこれ以上ないというほどの「極限生産性」に、そして経済学者が「最適一般福祉」と呼ぶものに至るとする。

それは、資本主義経済の最終段階において、熾烈な競争によって無駄を極限まで削ぎ落とすテクノロジーの導入が強いられ、生産性を最適状態まで押し上げ、「限界費用」、すなわち財を一単位追加で生産したりサービスを一ユニット増やしたりするのにかかる費用がほぼゼロに近づくことを意味する。 言い換えれば、財やサービスの生産量を一ユニット増加させるコストが(固定費を別にすれば)実質的にゼロになり、その製品やサービスがほとんど無料になるということだ。仮にそんな事態に至れば、資本主義の命脈とも言える利益が枯渇する。

そこでは、財とサービスの大半がほぼ無料となり、利益が消滅し、所有権が意味を失い、市場は不要となる。

経済学者のケインズは「我が孫たちの経済的可能性」という1930年に書いた小論にて「技術的失業は短期的には人々を苦しめるものの、人類が自らの経済の問題を解決していることをいみするから長期的には大いなる恩恵である」と書いている

彼は、機械がほぼ無料の財やサービスを潤沢に生み出し、人類を労役や苦難から開放し、そのおかげで人間が金銭上の利益ばかりに心を奪われず「いかに生きるべきか」や従来の枠を超えることの探求にもっと集中できるような未来の到来を待望していた。

  • GDPは"減少する"

財やサービスを精算する限界費用が様々な分野でゼロに近づくと利益は縮小し、GDPは減少に転じる。市場での購入が減少し、さらにGDPが減る。 テクノロジーによる自動化によって多くの労働者が職を失い、市場での消費者の購買力は減少するので、またGDPが現象する。

  • 全てが無料になった社会では財やサービスは共有される「協働型コモンズ」になる

蒸気機関によって人間は封建時代の農奴制から解き放たれ、資本主義市場で物質的な私利を追求できるようになったとすれば、IoTによって人間は市場経済から解放され、協働型コモンズにおいて非物質的でシェアされた利益を追求できるようになった。

生活の大半が協働型コモンズで営まれるという高度に自動化された世界に生きる私たちの子孫にしてみれば、人間の価値はほぼ絶対的に当人の財やサービスの生産高と物質的な豊かさで決まるという考え方そのものが、原始的に、いや、野蛮にさえ思え、人間の価値をひどく減じるものとしてしか捉えようがないはずだ。

  • もし全てが無料になれば発明家と起業家は初期費用を回収できないからイノベーションを起こそうとするインセンティブがなくなるのでは?

  • → 金銭的な見返りを得たいという願いよりも、人類の社会的福祉を増進したいという欲求に基づいた新しいインセンティブが生まれつつある

  • もちろん資本主義市場が完全になくなる、ゼロになるというわけではないがマジョリティではなくなる

限界費用が高いため、市場での交換が正当化でき、投資収益が確実に得られるほどの利益が挙がる財やサービスは依然としてあるだろう。だが、ますます多くのモノがほぼ無料になる可能性のある世界では、社会関係資本が金融資本よりもはるかに重要な役割を果たし、経済生活はしだいに協働型コモンズで営まれるようになるだろう。

限界費用ゼロ社会を実現するテクノロジー達

インターネット

  • 情報の伝達・コピーの限界費用がゼロになる

  • 世界中の人間がリアルタイムに情報を共有している世界

  • 出版、流通の限界費用がほぼゼロになっている

  • 教育コンテンツもオンラインで可能になるため、インターネットに接続できさえすれば世界中の人がトップ大学のトップ講師の講義を受けられる

    • MOOC (Massive Open Online Course)
  • 全ての人に無料のWifiをというFCCの声明

  • フリーソフトウェア運動とオープンソース

インテリジェント・テクノロジー

  • インテリジェント・テクノロジーの進化によって人間の仕事が代替される
  • ここはまさに昨今のGenerative AIの勃興でより現実味を帯びたところ

二一世紀前半には、ビッグデータ、高度な分析手法、アルゴリズム、人工知能(AI)、ロボット工学が、各種製造業、サービス業、知識・娯楽部門の全般で人間の労働に取って代わり、市場経済における仕事から何億もの労働者を解放する見込みが、強い現実味を帯びてきている。

IoT (モノのインターネット)

  • 全てのモノにインターネットによる情報伝達とインテリジェント・テクノロジーが組み込まれ、変革がハードウェアで物理世界にも染み出していく流れ

3Dプリンティング

  • 中央集権的に大量生産してそれを輸送する世界から、データだけを送信し各所で分散的に製造が行われるようになる「マイクロ・インフォファクチャリング」の世界へ

新しい3Dプリンティングの革命は、「極限生産性」の一例だ。まだ完全には実現していないが、本格的に拡がり始めれば、いずれ限界費用を必然的にほぼゼロまで減らし、利益を消し去り、(すべてではないが)多くの製品の、市場における資産の交換を無用にするだろう。  製造が大衆化されれば、誰であろうと、そしていずれは誰もが、生産手段へのアクセスを得るので、誰が生産手段を所有して支配すべきかという問いは的外れとなり、それに伴って資本主義も時代遅れになる。

エネルギー

  • 人間社会の全ての源になっているのは結局のところエネルギー
  • 究極生産性に達した時、エネルギーは無料になっている
  • 自然の力からエネルギーを生み出す再生可能エネルギー発電の指数関数的な効率上昇について
  • 昨今盛り上がりを見せている核融合炉などもこの領域の本命

所感

  • 自分が人生を賭けられるものを探していた大学3年の時に出会った「限界費用ゼロ社会」という概念、 「テクノロジーによって生産性を極限まで高めていけば、人類は労役や苦難から開放され、自由になれる」という未来が自分のそれまでの価値観や探していたものとシンクロした。
  • 中学生の頃からPCやインターネットが好きではあったが、自分が社会に出るにあたって「IT業界に入り、学生起業してプロダクトづくりに没頭し、エンジニアとしてキャリアを歩み始めた」のは、この「全てのモノをテクノロジーが生産してくれ、人間が自由になる社会」を実現したいと思ったのが大きかった。
  • 改めて読み返す中で、ここ5年のテクノロジーの進化に改めて興奮し、自身のやりたいことやビジョンを思い返すことができた。
Last updated on May 31, 2023 00:00 JST
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