Webの凄みと将来について2005年に書かれた本
インターネットは量子力学と同じくらい新しいもの
- ファインマンの「量子力学は今まで君たちが見てきたものの何にも似ていない」「アナロジーで理解してはいけない」という逸話はインターネットにも言える
Web1.0とWeb2.0の違い
- Web1.0はReadできるようになり、Web2.0はWriteができるようになったというよくある解釈ではなく、Web1.0で誰もがRead/writeできるようになっていたが誰にも届かないという課題があった→Web2.0はGoogleやSNSによってそれが人々に最適に届くようになったことで生産側もブレイクスルーを迎えた
「第一次インターネット・ブーム時の結論は「普通の人が何かを表現したって誰にも届かない」
でもそれは、玉石混交のコンテンツの中から玉を選び出す技術が存在していなかったからである。
インターネットの可能性の本質
- 不特定多数無限大の人々とのつながりを持つためのコストがほぼゼロになったこと
- それによって「単体では何もできない僅かなお金やわずかな時間の断片」を無限大に近い対象からゼロコストで集積できたら何が出来るのかというのがインターネットが実現する本質
- 「1億人の人から1円ずつもらえたら1億円になる」という夢は1円貰える可能性は高いが、1円もらうためのコストが大きいから非現実的だったが、インターネットならそれが出来る
- 時間ならば数秒という僅かな時間を集積させれば、会社の従業員全員と同じ時間を生み出せる
ネット世界の3大法則
- インターネットによって以下の3つが実現できるようになた
- 神の視点からの世界理解
- 大量のデータで人々の行動を取得することが出来るため、今までは分析できなかった広範囲で世界が分析できるようになった
- ネット上に作った人間の分身
- インターネット上にブログなどデジタルな作品を創ることで、その作品が自分の代わりに活動し、お金を稼ぐことが出来るようになった
- 僅かな価値の集積
- 「単体では何もできない僅かなお金やわずかな時間の断片」を無限大に近い対象からゼロコストで集積できるようになった
情報自身が淘汰を起こす
- グーグルでは「あらゆる情報が公開されている」
- 公開される情報が多すぎると、メンバーがどの情報を見て良いのかが判断できなくなるから情報を絞ったほうがいいのでは?という考えが浮かぶ
- しかし、多すぎる情報の中で多くの人が重要だと思う情報はメンバーの間でシェアされたりして必ず伝わっていく。逆に重要ではない情報は伝搬していかない。
- そのため、情報はとにかくどんなものでもPublicにするべき。これが「情報自身が淘汰を起こす」という考え方
Googleの20%ルール
- Googleでは20%の時間をオリジナルな仕事に当てるというのは有名だが「当ててもいいよ」ではなく、「当てなくてはならない」
- 20%の時間を自分独自の新規テーマに使うことで新しい価値を生み出すことが義務だから、皆必死になって新しいアイデアを考える
- さらにアイデア時点から情報は全て社内の全員に対して公開されるため、アイデアの淘汰も進む
ロングテール
- ロングテールが成り立つ「コスト構造の根本的な変化」があったため
- さらに自社の競争優位、生命線とも言えるデータをAPIで公開することで、自社のエコシステムを作り、そこを育てることでさらに自社の事業が成長するということの発見
ロングテール現象の核心は「参加自由のオープンさと自然淘汰の仕組みをロングテール部分に組み込むと、未知の可能性が大きく顕在化し、しかもそこが成長していく」ことである。
- ロングテール理論の提唱時の話
米国のリアル書店チェーンの「バーンズ・アンド・ノーブル」が持っている在庫は一三万タイトル(ランキング上位一三万位までに入る本)だが、アマゾンは全売り上げの半分以上(のちの調査で30%)を一三万位以降の本から上げていると発表したのである。
高さ一ミリ以下で一〇キロ近く続くグラフ上のロングテールを積分すると、まさに「塵も積もれば山」、売れる本「恐竜の首」の販売量を凌駕してしまうというのだ。
リアル書店では在庫を持てない「売れない本」でも、インターネット上にリスティングする追加コストはほぼゼロだから、アマゾンは二三〇万点もの書籍を取り扱うことができる。 しかも「売れない本」には価格競争がないから利幅も大きい(米国では新刊書にも値引き競争がある)と良い事ずくめになる。これがロングテール現象である。
ブログ収入も最初は先進国では軽視されていた
先進国では供給者地獄とみる仕組みも、発展途上国では天恵。この新しい「富の分配」メカニズムの恩恵を蒙る英語圏・発展途上国の人たちのブログ収入が生活に及ぼすインパクトは多大だ。これは既に始まっていることだが、果たして生活コストの高い先進国にまでこの仕組みが成長して波及してくるだろうか。そこについては意見が分かれるところであるが、新しい現象に期待する傾向が強い私でも、この点ばかりはやや懐疑的にならざるを得ない。 先進国の表現者が「飯を食う」すべは、相変わらず既存メディアに依存し続けるだろう。
発信は知的成長の場である
- 自分がお金に変換できない情報やアイデアを無料公開することで利益が得られる
- 成長の過程を公開してしまうことで信頼関係が作れる
ブログは個にとって大いなる知的成長の場であるということだ。
「実際ブログを書くという行為は、恐ろしい勢いで本人を成長させる。それはこの一年半の過程で身をもって実感した。
ブログを通じて自分が学習した最大のことは、「自分がお金に変換できない情報やアイデアは、溜め込むよりも無料放出することで(無形の)大きな利益を得られる」ということに尽きると思う。」
知的成長の過程を公開することでその人を取り巻く信頼関係が築かれていくのである。
所感
- 「1億人の人から1円ずつもらえたら1億円になる」という話は確かにインターネットの本質だが、送金や決済に関しては結局既存金融システムの手数料・コスト構造からStripeですら50円以上などの制限が設けられているため、暗号通貨が実現するさらに低コストな金融はこの僅かな価値の集積をさらに民主化することが出来るだろうと感じた
- 「情報自身が淘汰を起こすのだから、情報は精査せずに全てPublicにするべき」というのは身を持って重要性を感じている部分で非常に共感した
- ブログ収入も始めは先進国では飯を食うには足りないと思われていたというのは、非常に興味深かった。最初から大きな事業になると確信できる領域にはαがないので、利用者が増えた場合に大きな事業になるなどの構造を持っているものの未来を信じて張ることの重要性を改めて感じた。
- 知的成長の結果でなく過程を公開しておくことで信頼関係が築かれるというのはあまり実感が沸かなかったが、当ブログの所感欄を欠かさずに書いて行こうと思う。