ByteDance創業者 張一鳴(ジャン・イーミン)氏とTiktokが世界一になるまでの軌跡を追った本
イーミンの人柄
見た目通りのおとなしい雰囲気
- カリスマ性はない
やわらかな声で早口に話す彼は、手ごわいビジネスリーダーというより、やさしく温厚なソフトウェアプログラマーのような雰囲気をかもしていた。中国の多くの投資家が好む、威勢がよく自信に満ちた「ジャック・マー(馬雲) スタイル」の起業家とは対極にあった。
- 人前で話すのが得意ではない
イーミンは、もともと人前で話すのが得意ではなかった。かつてイーミンのスタッフは、彼の中国語の訛りが強いことや、感情を出さない穏やかな話しぶりを嘆いていた。だがそんなイーミンも、この2年でかなり進歩していた。「十分な学習と忍耐力があれば、どんなスキルもマスターできる」というのが、欠点克服に向けたイーミンのいつもの考え方だった。
学生時代から徹底した合理主義者
- 「提供するサービス」「会社」「自分自身」という3つの製品をつくるという思想
イーミンは、絶えずテストと反復処理を繰り返して最適化を目指すソフトウェア製品のような人生を送っている。そのために、人生の選択に役立つ公式を作ってきた。
- 独自の価値観で論理的に大学を決めた
大学を決めたいきさつもそのひとつだ。
イーミンは、自分にとって重要な結果とは何かを考え、すべてを突き詰めて4つの条件に行き着いた。そしてその条件をもとに、何百もの選択肢のフィルターを通して、ものの数分で結論を導き出した。 「まずひとつ目は、有名な総合大学であることです」とイーミンは、2019年に母校を訪れた際、南開大学の現役の学生たちを前に4つの条件について語っている。純理系の大学より男女比のバランスがとれていて、イーミンにとっては彼女を作りやすいからだった。実際、彼はこの大学で初めてガールフレンドができ、のちに彼女と結婚している。 「ふたつ目は、海に近いこと。3つ目は、故郷から遠く離れていること、そして4つ目は、冬に雪が降ることです」とイーミンは続けた。彼が育った福建省の南岸部では雪が降ることはめったにない。 この4つの基準をすべて満たすのは、北京から車で1時間の南開大学しかなかった。彼はそこで4年間の大学生活を送ることとなった。
この逸話は、イーミンの意思決定プロセスをよく物語っている。彼は一定の条件をもとに、複雑な決定を単純化して、他人には予想外ともなりがちなただひとつの「最善の結果」に確信を持つことができる。
- 大学ではコンピュータサイエンスを選考
イーミンは、大学では当初、生物学を学びたいと思っていた。当時、「 21 世紀をリードする」と考えられていた学科だ。だがそれには点数が足りなかった。そこで電気工学を選択したのだが、すぐにソフトウェア工学に転向している。電気工学では「教科書の理論を実生活で応用するチャンスが少ない」のに対し、コンピュータプログラミングはサイクルが短く、結果も早く知ることができると判断したからだった。
- 「ストイックで保守的な私生活」と「起業家としての野心」
- 大学では目立たない存在で、ストイックな生活を送っていた
口数が少なく、いまも童顔のイーミンは、キャンパスではほとんど目立たない存在だった。
同級生たちのようにトランプをしたり、コンピュータゲームにふけったり、映画を観ることはほとんどなかった。自らを「モラルのチャンピオン」と称して自己研鑽に取り組み、講義後は、プログラミングと読書とパソコンの修理に時間を費やした。忍耐力、知識、友情を培ったのはこの3つの趣味があったからだと、のちにイーミンは語っている。 「根気や、ひとりでいられる能力、短期的な要因に惑わされず長期的考察をもとに判断すること、そして計画や努力が実を結ぶまで辛抱強くあること──これはすべて自分のスタートアップを立ち上げるうえでとても重要なことです」と、彼は断言した。
- パソコンの修理を通じて人と出会う機会を作り、そこで出会った女性と結婚
「自分に合った相手が世界に2万人いるとしたら、その2万人のうちのひとりを探せばいいだけの話です。(彼女は) 許容範囲内の近似最適解ですよ」。なんとロマンチックな話だろうか。 こうした発言から、イーミンは感情のないロボットのような人間とみなされがちだ。
- 効率厨
「ときどき寝癖がついて(髪の毛が) 跳ねている」のにスタッフが気づくこともあったという。働きはじめて間もないころ、イーミンはマーク・ザッカーバーグの効率的な服選びに刺激され、中国のアパレルブランド「バンケ(万科)」の同じTシャツを 99 枚購入し、それを1着ずつ、 99 日間着続けたことがあった。
モチベーション
- 安定や個人的な富ではなく、「凡庸から脱するための闘い」がモチベーション
中国の大半の大卒者とは違って、彼は安定性にそれほど重きを置いていなかったようだ。それよりも将来有望な新分野に賭けることに興味があった。物や個人的な富に興味を示すことはほとんどなかった。
長年イーミンを知るルーボーは、友人の人生観の中心にあるのは「優秀さへの渇望」、言い換えれば、「凡庸の引力から脱するための闘い」だと評した。イーミンが卒業後すぐに起業の道に飛び込み、学生時代の友人ふたりと共同オフィスシステムソフトウェアの開発事業を立ち上げたのも、これでいくらか説明がつく。
起業前のキャリア
最初の起業
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大学時代にコンピュータ修理のアルバイトとウェブサイト制作の受託で日銭を稼いだ
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卒業後すぐに共同オフィスシステムの開発会社を起業するも、あっけなく失敗 (22歳)
長年イーミンを知るルーボーは、友人の人生観の中心にあるのは「優秀さへの渇望」、言い換えれば、「凡庸の引力から脱するための闘い」だと評した。イーミンが卒業後すぐに起業の道に飛び込み、学生時代の友人ふたりと共同オフィスシステムソフトウェアの開発事業を立ち上げたのも、これでいくらか説明がつく。
このプロジェクトはあっけなく失敗に終わった。
スタートアップ初期に入社
- その後、ソフトウェア開発の経験を使って職探し → 旅行検索サイトを運営する「クーシュン」というスタートアップに5番目の従業員 / 初のエンジニアとして入社(22歳)
南開大学の卒業生から連絡を受け、「クーシュン(酷訊)」という旅行業界のスタートアップに誘われた。
すぐに5番目の社員として採用が決まり、入社後わずか数カ月で、会社を支える屋台骨になっていた。
「当時は若かったので、昼も夜もなく徹夜で働くことができました。早くに帰宅できれば、深夜の1時、2時まで本を読んだり勉強したり。とても充実した時期だったと思います。あの2年間は、昼も夜も勉強していました」。イーミンはその機会にできるかぎりのことを学び、営業チームに同行して客先回りもした。それは、のちにバイトダンスの最初の広告営業チームを立ち上げるのになくてはならない経験だったという。
マイクロソフトへの転職
- クーシュンが上手くいかずに混乱期に入ったタイミングで、マイクロソフトに転職(25歳)
残念ながら、創業者たちがクーシュンを去り、会社は、市場で勢いがついた直後に経営の混乱期に入った。次に進むべきときが来たと気づいたイーミンは、世界屈指のテクノロジー企業から学ぼうと考え、2008年、マイクロソフトが北京に構える研究所、「マイクロソフト・リサーチ・アジア(MSRA)」に入社した。
- 退屈すぎて、1年で退職(25歳)
期待とはまるで違っていた。マイクロソフト時代を振り返ってイーミンは、キャリアのなかで最も退屈な1年だったと語っている。
気づけば1日の半分は暇を持てあまし、趣味で退屈を凌いでいた。「本をたくさん読みました」と彼は告白している。
あそこは特別なアイデアやモチベーションを持った人には向かないと思います……。私はやはり、やりがいのある創造的な人生のほうがいい。
2社目のスタートアップに入社→3社目のスタートアップでリーダーとしての頭角を表す
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クーシュンで知り合ったワン・シン(のちの美団創業者)が立ち上げた中国版Twitterスタートアップ「ファンフォウ」に入社 (25歳)
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しかし、政府によりサイトが閉鎖されてしまったことで、退職(26歳)
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クーシュン時代の投資家に誘われて、不動産検索ポータルサイト ジウジウファンのCEOに就任(26歳)
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モバイルアプリの波が来て、ジウジウファンのモバイルアプリ開発に注力
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情報アグリゲーションサービスの可能性に気づき、退職
イーミンはモバイルアプリ開発に力を注いだ。ジウジウファンチームは半年のあいだに、中古や賃貸物件など、不動産市場の個別のサブカテゴリをターゲットとした5つのモバイルアプリをリリースした。
ジウジウファンは、主要なニュースのポータルプラットフォームや人気の不動産サイトから記事を集約するアプリ、その名も「不動産情報」を開発した。
多数のソースから情報を集め、スマートフォンでひとつのフィードに集約する「アグリゲーション」サービスは、大きな可能性を秘めていた。
イーミンは、自分たちがすごいことを思いついたのだと気づき、そのアプリを不動産業界に絞って開発するのは視野が狭すぎると考えた。
イーミンは、ジウジウファンのCEOを辞する決心をした。不動産業だけに収まるのは、もう我慢できなくなっていた。モバイルインターネットの隆盛は、彼のような起業家にとって一生に一度の大きなチャンスだった。 もっと大きなこと、すべての人の心に響くことに挑戦しなければならないと感じていた。
ByteDance創業
- 2012年 ジウジウファンを退任し、ByteDance(字節跳動)を創業(29歳)
役割を替えて自ら起業し、元の会社を離れることに、良心の呵責はほとんどなかった。「起業なんてギャンブルみたいなものです。成功なんてまずありえない。負けることに罪の意識なんて感じますか?」。それが彼の理屈だった。
起業後の成功までの歩み
事業選定: ミームアプリの量産
- 市場調査から「エンタメ」アプリを作ると決め、ミームをフィードに表示し続けるアプリを2つリリース、2つ目を当てた
2012年の初め、イーミンは、データマイニングと情報レコメンドについて考えることに夢中になり、中国とアメリカ両方の市場の主要なオンラインコンテンツプラットフォームを片っ端から調査していた。そしてある重要な発見をしていた。中国のアプリストアで上位にランキングされる非ゲーム系アプリの多くは、ライトエンターテインメントに集中していたことだ。 「うちはまず、エンターテインメントで市場に割って入ろうと決めました」と、バイトダンス初期のアプリ開発者であるホアン・ホー(黄河) は語った。
バイトダンスがまだ正式に事業登録される前、チームは早くも最初のアプリ「ヒラリアス・グーフィー・ピックス( 搞笑 図)」を作り上げた。面白いミーム(模倣などによって人から人へと広がっていく情報の単位。たとえば、インターネットミームは、SNS等で注目されるコンテンツのこと) や、おかしな画像といったクセになるフィードを延々と表示するものだ。
その後すぐに、ふたつ目のアプリ「インプライド・ジョークス( 内 涵段 子)」も発表された。インターネットミームに着目した同じような位置づけのアプリだ。これはたちまちヒットとなり、数カ月のうちに数百万のユーザーを獲得した。
- その後、半年で「美女」「グルメ」「車」「ファッション」「住宅」などテーマごとに分けて10個のフィードアプリを同じ開発基盤で量産
- 出すサービスが低俗すぎて、採用が難航した
なにしろ「妊娠するほど大笑い」といった名前のアプリを作り、オフィスは改装したアパート、CEOはTシャツにサンダル履きで仕事をしていた結果、残念ながら採用が難航していたからだ。自社のソーシャルネットワークを通じてどうにか採用できた最も才能のあるエンジニアたちは、早々に辞めてしまった。 「ハイレベルな副社長候補を口説き落とすなんてとても無理でした。みんな『こんな低俗なものに関われるか』と思っていたんです。エンジニアでも手伝わないっていうのがいるくらいですからね」と、イーミンは振り返った。
- 一方で、この時期に「大量にアプリを出して、市場で検証する」というByteDanceの基本戦略が確立
初期のバイトダンスは、2012年の上半期に合計で 10 種類以上のアプリを試験的に発表し、さまざまなテーマや方向性を試している。 チームがアプリの名前を考えるために、中国版ツイッターと言われるシナ・ウェイボー(新浪微博) でランキング上位のアカウントを調査したところ、わかりやすい言葉を使った日常的な名前がいちばん効果的であることがわかった。「美しい写真」「今夜の必見動画」「リアルビューティーズ──毎日100人の美女(中国名は『真実美女──毎天100位漂亮MM』)」など、単純で説明的なタイトルは、想像力には欠けるものの、何のためのアプリかがすぐにわかり、初期のモバイルアプリユーザーの心に響くものだった。
バイトダンスでは、その戦略をさらに改善し、迅速な実験を行えるようにした。新しいアイデアを素早く大量に出して、複数の機能をテストし、どの機能に価値があるかを市場に検証させるというもので、これがバイトダンスの長年続く戦略になった。
ニュースアプリ「トウティアオ」の開発
- スマートフォン時代のtoCサービスには「小さな画面」「断片的な時間」「情報過多」という3つの課題があると捉え、それら全てを解決するアプリを出そうと考える
- そこで、機械学習を使って個人の好みに合わせたフィードを提供するニュースアプリ「トウティアオ」を開発し、リリース
イーミンは、大きな課題が3つあると考えた。「小さな画面」「断片的な時間」「情報過多」だ。だがイーミンの知るかぎり、その3つの課題に同時に取り組んだプロダクトは、中国には存在しなかった。
バイトダンスには会社の顔となるプロダクト、より野心的な何かが必要だった。「当時は、垂直的な分野をいろいろと試しましたが、結局、大きなことをやらなければならないんです」
チームは、ネット上のさまざまなコンテンツを集約して整理するという大きなビジョンを掲げ、より野心的なアプリの構築に取りかかった。ビッグデータと機械学習を活用し、個人の好みに従って一人ひとりに合ったフィードを提供する、人間のキュレーターを使わないアプリだ。
トウティアオで資金調達に回るも失敗
ジョアンは、ベンチャーキャピタルの友人少なくとも 20 人にイーミンを紹介した。だがバイトダンスの将来が明るいと考える人間はひとりもおらず、イーミンは断られ続けた。
やわらかな声で早口に話す彼は、手ごわいビジネスリーダーというより、やさしく温厚なソフトウェアプログラマーのような雰囲気をかもしていた。中国の多くの投資家が好む、威勢がよく自信に満ちた「ジャック・マー(馬雲) スタイル」の起業家とは対極にあった。
- 「機械学習によるレコメンドシステム」の未来を信じてもらえずに断られ続けた
多くのベンチャーキャピタルはトウティアオを、数あるニュースポータルサイトの単なるモバイル版と見ていた。主要なデスクトップポータルのネットイース(網易) と、ソウフ(捜狐) は、すでにモバイルアプリでそれぞれ2億ユーザーを獲得しており、テンセント(騰訊) やフェニックス(鳳凰網) などの重要なプレーヤーも市場シェアを争っていた。さらに最後尾からは、あまたの小さなニッチプレーヤーたちが有名なプラットフォームをじりじりと追い上げていた。そこは競争の激しい、成熟したいわゆる「レッドオーシャン(競争が激しい既存の市場)」市場であり、戦利品の大半は大物プレーヤーたちに分割されてしまっているように見えた。大方の投資家は、ユーザーはすでに幅広くサービスを受けていると感じていたのだ。
そのころにはもう、中国の本格的な投資家の誰もがモバイルインターネットの台頭を十分に認識していたが、パソコンからスマートフォンへの移行が意味するものは、まだ完全には見えていなかった。それは単に情報を消費するデバイスが変わっただけでなく、新しい媒体に合わせて情報の流通や消費の仕方が変わることでもあった。イーミンは、情報の流通の仕組みを、人間の編集者主導から、ビッグデータと機械学習に基づく人工知能主導に変えたいと思っていた。
また、伝説のベンチャー投資家ニール・シェン(沈南鵬) が率いるセコイア・キャピタル・チャイナ(紅杉資本中国基金) は、「中国のインターネットの半分を買った」と称賛されるが、バイトダンスのシリーズAラウンドの投資を断っている。ニール・シェンはこれを大失敗だったと打ち明け、冷静にこう振り返った。「これもまた投資家の人生……、ベンチャーキャピタルとは後悔のゲームです」。
「パートナーで協議した際、競争があまりに激しいと感じました。この小さな会社では勝ち目はないだろうと」と、セコイア・キャピタルのニール・シェンは語った。勝利するには、技術ではなく、ブランド力や忠実なユーザー基盤を持つことや、BATのいずれかのエコシステムで支援を受けて不当な優位性を享受することなど、別のビジネス要素が鍵を握るというのが一致した意見だった。
モバイル・インターネットの裏、機械学習レコメンドエンジンというもう一つの波
- 実は2011年にGoogleがYoutubeに機械学習レコメンドエンジン「シビル」を導入して、視聴数が爆発的に伸びたという出来事があった
- → 気づいている人は「リコメンとエンジンがユーザー体験を向上させる」ことには気づいていた
人が情報を探すことから、情報が人を探すことへの転換 といったところです」。 のちにイーミンは、検索とレコメンドの違いについて思案し、そう語っている。
- しかし、リコメンドエンジンによる「データフライフィール (一度大きくなると倒せない持続的な強み、参入障壁になること)」に気づいているプレイヤーは少なかった
このニュースフィードは、さまざまな意味で、ウィーチャット創業者アレン・ジャン(張小竜) の哲学を体現していた。当時、アルゴリズムを使ったレコメンドに対する彼の姿勢は、よく言って懐疑的、悪く言えば否定的なものだった。彼の頭にあるのは、ウィーチャットの「モーメンツ」を、人と人との真のコミュニケーションの場にすることだった。フィードは、ユーザーの連絡先にある友人の投稿を新しい順に並べるだけで、写真にフィルターをかけるオプションすらなかった。
対照的に、中国のモバイルインターネット界に君臨するもう一方の巨人、シナ・ウェイボー(新浪微博) は、メディアを重視した組織だった。最高の技術やユーザー体験を有することではなく、一定数の大物有名人やメディアにプラットフォームを利用してもらうことで、「中国のツイッター」と呼ばれるマイクロブログを支配する有利な立場を勝ち取っていた。 ウェイボーは、ユーザーが購読しているアカウントをもとにタグ付けをし、そのタグをユーザーの一般的な関心事を知る指標として、どのコンテンツを勧めるかを判断していた。だが、この未熟なレコメンド技術を改善することが、ビジネスに不可欠な推進力になるとは考えていなかった。
競争の激しいこのマクロ環境には大きなすきまがあり、トウティアオが攻勢に出る余地は十分にあった。シリーズBラウンドでイーミンへの投資を断ったすべてのベンチャー投資家と同様に、大手プラットフォーマーはどこも、コンテンツレコメンドを重要視していなかった。信じられないことに、モバイル分野の最大手であるウィーチャットにいたっては、この技術を疑っていた。
業界では、たとえレコメンドエンジンの優位性が証明されても、その技術はコピーされるだろうというのが一致した意見だった。レコメンドは、すでにライバルのひしめく競争の激しい市場で、長期的に大きなシェアを占める持続的な方法ではない、と。
- 結果的に、2012年というベストなタイミングで「スマートフォン」と「AIレコメンドエンジン」の2つの大波に飛び乗った形
- ちなみに日本だとGunosyとスマートニュースも2012年創業
最先端のレコメンドエンジンの開発
- 最先端のレコメンドエンジンは既存のByteDance社では厳しかったが、中途半端なレコメンドではなく、機械学習を使った最先端のレコメンドエンジンにこだわった
- イーミン自らレコメンドエンジンに詳しくなりつつ、バイドゥからキーマンを採用したことでブレークするー
イーミンはかたくなにこだわった。彼の考えでは、少しだけ革新的なことをやってモバイルインターネットの波に乗り、そこそこの成功を収めるのか、すべてを賭けて取り組み、本当の意味で価値を生み出す本質的なブレークスルーを起こすかは、自分たちしだいだった。「いまはレコメンドが実現できなくても、学ぶことはできる。この会議が終わったら、まずは私が行動を起こします」と、イーミンは模範を示すことを約束した。
バイトダンスに大きなブレークスルーが訪れたのは、直接的には、外部から優秀な人材を獲得したためだった。業界最高クラスのレコメンドエンジンを構築するというビジョンの実現を望むなら、よその組織から経験豊富な専門家を引き入れるしかなかった。
バイトダンスに最初の技術的なブレークスルーが訪れたのは、2014年のことだ。その年、バイトダンスは、バイドゥの検索部門副責任者であるヤン・ジェンユエン(楊震原) を、9年間勤めていた同社から引き抜いた。ヤンはすぐに技術担当副社長に任命され、自ら指揮をとって技術面の大幅な改善に取りかかった。
トウティアオのグロース、Traffic is King
- お金を払ってスマホにプリインストールしてもらうというグレーマーケットに大きな予算を投下し、数千万ユーザーを獲得
いまやバイトダンスが最も効率よく新規ユーザーを増やして会社を急成長させる手段となったある策に予算を最大限活用するために、システムは複雑に進化していた。その策とは、販売業者と契約し、工場から出荷されたスマホに、消費者の元に届く前にアプリをプリインストールさせる「グレーマーケット」だった。
中国のインターネット業界の基準からしても、スマートフォンのプリインストールアプリの市場は、アメリカ開拓時代の無秩序な、荒れた西部のようだった。それでも、低価格帯や中価格帯のアンドロイド端末のユーザーに大規模にリーチできる費用効率のいいチャネルだったため、常に高い需要があった。バイトダンスがアプリのプリインストールに予算を当てはじめたころ、1インストール当たりに支払っていたのは約0・4元(0・06 ドル) で、これは当時の相場を上回るものだったが、4年にわたって価格が上がり続け、 12 元(1・68 ドル) 以上になったことを考えれば、信じられないほど安かった。
アプリのプリインストールが習慣的に横行していることに異論を唱える小売業者はほとんどなく、競争が熾烈で利鞘の少ない業界で、プリインストールは副収入源として歓迎されていた。見返りがさらに大きくなると、流通網のさまざまな次元の販売業者や代理店が、この習慣を受け入れるようになった。メーカーが請け負ったアプリ一式をインストールし、一次販売代理店も別のを追加、二次販売代理店がさらに追加して、あげくに小売店までいくつか追加することもあった。
トウティアオがリリースされた初期のころ、バイトダンスはプリインストールによって数千万のユーザーを獲得した。そのためコアユーザーは、トウティアオがプリインストールされた安価なアンドロイド端末の購入者で占められていた。やがて、そうしたユーザーのコンテンツの好みが、バイトダンスに対する一般市民のイメージに大きく影響するようになった。
- リコメンドエンジンによるコンテンツの最適化がどんどん加速し、トウティアオは低俗なコンテンツばかりだと批判されるようになった
いつしかトウティアオは、ばかばかしくて教養のない、ゴミのような作り話を提供していると評判になっていた。「96パーセントの人のニーズは非常に低俗だという現実を見なければなりません」と、バイトダンスのUIデザイン主任で、社員番号22番のガオ・ハン(高寒)は説明した。そして、評判は当然だと認め、こう続けている。「トウティアオはもちろん低俗です。すべてがクリックベイト、とっ散らかった雑多なニュースです。実に低俗。そうです、それは私も認めます」。 ジャンクフードが体によくないことは誰でも知っているが、それでもみんなが食べたがる。バイトダンスは、下品なコンテンツを積極的に押し出すことは強く否定していたが、たしかに人々が望むものを提供することを商売にしていた。そしてたまたま、中国の大衆が毎日脳に送り込みたかったものが大きくて脂っこいチーズバーガーだった、つまり、クリックベイトや、有名人のゴシップ、きれいな女の子の写真だった。「中国全体が社会的エリートで構成されていると思ってますか? 大学進学率はたった4パーセントにすぎません」と、ガオ・ハンは続けた。
マネタイズ
- 当時の中国ではモバイル広告は単にバナーを画面に表示するだけで効果が薄かった
バイトダンスが直面した最初の課題は、モバイル広告の効果に対する国内市場の懐疑的な見方だった。いまでは信じられないようだが、当時は業界関係者の多くが、スマホの画面は小さすぎて広告には向かないと感じていた。当時のモバイル広告は、バナー広告やスプラッシュス画面(アプリなどの起動処理中に表示される画像) 広告などの形態がほとんどで、コンバージョン率(商品購入や会員登録などの最終成果に至った割合) もユーザー体験の質も低かった。フェイスブックが先駆けとなったニュースフィード広告は、中国よりもアメリカの市場のほうがはるかに定着していた。
- 2013年に中国で最も若い宣伝部長として名を馳せていた新聞社の副社長を採用して、広告によるマネタイズに力を入れる
- アメリカでFacebookなどが先駆けて行っていたニュースフィード広告を、パーソナライズして出してみると圧倒的な広告効果が出た
テスト広告はニュースフィードに直接ハードコードされた。この広告第1号は、店内プロモーション用のクーポンだった。ニュースフィードの広告を見つけた人が店を訪れ、会計の際に店員に広告を見せると、食用油1本が無料でもらえるというものだ。中国の家庭では炒め物に大量の油を使うため、食用油は販促品によく使われていた。 広告は当初、店から半径3キロ以内のユーザーにのみ表示された。午前中が過ぎても、誰も来店しなかった。半径を 10 キロまで広げてみると、 10 人以上がクーポン券を使ってくれた。そしてさらに範囲を広げていくと、最終的には、食用油がすべてなくなるまで、100人以上が来店する結果となった。チームは、初めて手がけた位置情報ベースのごく初歩的なターゲティング広告で小さな成功を収めたことに興奮した。のちにイーミンは、スティーブ・ジョブズの伝記を思い出したと語っている。伝記では、この伝説の起業家が、 17 歳の誕生日に父親からもらった壊れた古い車のことに触れている。「それでも車は車」と、ジョブズは楽観的にとらえていた。 「初めての広告に、私もそんな気持ちでした」とイーミンはジョークを飛ばした。
- 2016年には中国の業界ビッグ3であるBATと並ぶ広告収入になった
公表された広告収入は、2014年の3億元から2015年には 15 億元、2016年には約 80 億元へと跳ね上がり、バイトダンスは一躍、中国の業界ビッグ3であるBATと並ぶ広告ビッグリーグ入りを果たした。 こうした急成長は、グーグルやフェイスブックなど広告業界の重鎮が、それぞれ創業から同期間で果たした成長と比較しても、それを凌駕している。
中国のテック系メディアには、インターネット界の古参であるバイドゥ、アリババ、テンセントに挑む成長株を表す「TMD」という新たな言葉が登場するようになった。 Tは、トウティアオを表していた。2018年まで中国のメディアは、バイトダンスを常に「トウティアオ」と呼んでいた。Mは、メイトゥアン(美団)。イーミンの友人であるワン・シン(王興) が創業した、オンライン食品デリバリーと飲食店の評価プラットフォームを手掛けるトップ企業だ。Dは、ディディチューシン(滴滴出行)。ウーバー(Uber) に相当する中国の配車サービスを表していた。
世界一になるまで
ショート動画市場への乗り遅れ
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Vineは2013年にアメリカでヒット
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同時期にInstagramにもショート動画の投稿機能が追加されている
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2015年には、ミンディやミュージカリーといった「縦長動画」「スクロール」「動画に音楽をつける」「投稿しやすい」アプリ(=今のTiktokとほぼ同じアプリ)がアメリカでバズっていた
バインやその他のショート動画アプリを使い続けているうちに、改善の余地がまだたくさんあることに気づいた。バインもインスタグラムも、動画を正方形のフレームで表示している。iPhoneの画面が縦長であることを考えれば、動画も縦型にして、画面全体を活用する必要があるとわかったのだ。
コンセプトを確かめるため、彼らはテスト版を試作した。動画が画面いっぱいに表示されると、スクロールフィードではなくなってしまうため、次の動画にどうやって進むかが問題になった。そこでチームは、画面を下から上にスワイプする方法を試すことにした。そのアイデアは見事にはまった。動画から動画へと進むのには、驚きと期待感があった。次のスワイプで何が表示されるかが、わからないからだ。
iPhoneに搭載されていたカメラはごく基本的なものだったが、チームはインスタグラムがフィルターを活用して普通のiPhoneの写真をかなりプロっぽく見せていることに魅力を感じていた。動画でこのフィルターに相当するものはないだろうか? 答えはすぐに見つかった。ずばり、音楽だ。 動画に音楽をつけると、写真にフィルターをかけるのと同じ効果が生まれた。
当初は、動画を撮影したあとでなければ音楽を入れられない設計を選択していた。これは、写真を選んでからフィルターをかけるインスタグラムと似ていた。だがその後4人は、これを逆にできることに気づいた。先に音楽を選び、大音量で再生しながら動画を撮影すればいい。「これでカメラはカラオケエンジンに変身しました」とスタニスラスは説明した。
さらにチームは、iTunesで販売されている全楽曲の 30 秒間のプレビューにアクセスできる開発者APIがあることを知った。完璧だった。これで、iTunes Exclusive(エクスクルーシブ) を含めた膨大な数の楽曲にアクセスできる。人気のある曲では、プレビューがちょうどキャッチーなサビに入るところから始まるように完璧にカットされていた。申し分なかった。
ミンディのチームは、自分たちのミスに気づいた。コードの一部を開発者向けサイトの「ギットハブ(Github)」にアップしたままにしていたため、ミュージカリーはそれに飛びつき、自分たちの開発を加速するのに利用していた。ミンディのユーザープロファイルを調べると、アレックス・ジューのアカウントが見つかり、彼が早くからアプリを盛んに利用していたことがわかった。
「ミュージカリーとバインの決定的な違いは、ミュージカリーではコンテンツ作りのハードルを下げたことです。だからこそ、消費者すべてがクリエイターでもあるわけです」と、アレックスは説明した。
動画を作るうえでの最大のハードルは、技術的なものではない。新しいタイプのショート動画系モバイルアプリには、使いやすい編集機能が組み込まれていた。若いユーザーは、音楽やテキストの追加の仕方や、録画機能の使い方を難なく理解していた。特にバインの録画機能は、これ以上ないくらいにシンプルだった。カメラを向けてボタンを押したままにすれば、それで6秒間録画ができる。 多くの若いユーザーは自撮りが好きなので、気後れの問題でもなかった。最大のハードルは、創造性とひらめき──コンセプトを思いつくかどうかだった。ほとんどのユーザーはヒントを必要としていた。魔法のような効果を生み出す高いデジタル編集技術で知られるザック・キングなど、すでに名をはせていたバインのスターほど、時間と才能に恵まれ、献身的に打ち込む人はほとんどいないからだ。
音楽は、創造性を刺激するひとつのヒントだった。ミンディやミュージカリーでは、手軽に好きな曲を選び、それに合わせて物まねやダンスができる。
- 中国国内で見てもByteDanceはショート動画アプリに乗り遅れていた
中国では、2015年当時でも、モバイルアプリのショート動画は目新しいものではなかった。過去 12 カ月間に、業界の名だたる企業が続々とショート動画アプリのプロモーションに多額の投資を行っていた。都市で働く人々が、地下鉄の駅にテンセントの「ウェイシー(微視)」や、ウェイボーが投資する「ミャオパイ(秒拍)」の広告が貼られているのを見逃すわけがなかった。
最初の勝者はすでにいくつか現れていた。「メイパイ(美拍)」や「クワイショウ(快手)」などの中国アプリは、大量のアクティブユーザーを抱えて、すでに定評があった。バイトダンスは決定的なチャンスを逃した、というのが大方の評価だった。
ショート動画の台頭は、中国でモバイルの接続性とインフラが大幅に改善されたタイミングで起きた。いまや4Gネットワークが標準となり、無料でWi-Fiを利用できるカフェやレストランが至るところにあった。スマホの画面も大きくなり、画質も向上している。モバイル動画コンテンツが伸びる条件は整いつつあった。
この戦いにバイトダンスは比較的遅れて加わった。中国には、「バイン(Vine)」や「ダブスマッシュ(Dubsmash)」の中国版など、動画の新しい消費方法を導入したアプリがすでに何十種類も存在した。中国最大の写真加工アプリ「メイトゥ(美図)」のショート動画アプリ「メイパイ(美拍)」は、都市部の若者に大人気だった。市場のリーダーである「クワイショウ(快手)」は、国内の小規模都市で数千万のユーザーを獲得していた。洒落たプロの制作会社やファッション系で絶大な影響力を持つインフルエンサーから、畑で撮影する田舎の農業従事者まで、中国のショート動画市場は、誰もが何かしら楽しめるものになっていた。
ドウインの誕生
- トウティアオでショート動画に力を入れており、これが伸びていた
- ショート動画専用のプラットフォームのプロジェクトを社内でシステマティックに立ち上げた
バイトダンスの独特な組織構造のため、ドウインの受けていた支援は、よく知られているインスタグラムやウィーチャットの事例よりも明らかに大きな意味を持っていた。ドウイン(そしてのちのティックトック) には、創業チームはあったが、従来の意味での本当の「創業者」はいなかった。欧米のほとんどの大手ソーシャルメディアプラットフォームとは異なり、ドウインの成功は個人のビジョンから生まれたものではない。組織内の体系的な実験のプロセスから生まれたものだ。
- そのため、既に人気のある動画アプリを完全コピーする形で、3種類の動画アプリを同時に立ち上げ
- Youtubeの模倣
- 中国のショート動画アプリNo.1だったクワイショウの模倣
- 欧米でショート動画アプリNo.1だったミュージカリーの模倣
そのころ、バイトダンスには2000人を超える従業員がいた。一方、エイミーのチームは、 10 人足らずのスタッフが本社2階の小さな一画に集まって仕事をしていた。大きな組織のなかの小さなスタートアップのようなスタイルだ。実際アプリは、イーミンの大学時代のルームメイト、リアン・ルーボーが指揮する別会社、「北京ウェイボー・ビジョン・テクノロジー株式会社(北京微播視界科技有限公司)」名で正式登録されていた。
- 3つ目のミュージカリーのコピーアプリであったエイミーを中国国内向けに「ドウイン」としてリニューアル
アプリの体験として音楽が重要な役割を果たしているのなら、クリエイターもオーディエンスも音楽に合わせて自然と体を動かすのではないか。そう考え、チームのひとりが思いついたのが「抖音(ドウイン)」、英語にすると「揺れるビート」という名前だった。 「ドウ」は、「揺れる」「震える」「振動する」、「イン」は「音」「音楽」「音符」などと訳すことができる。
検討に上がった数百の候補のなかから「ドウイン」が好きな名前に選ばれた。次に必要なのは、ロゴマークだ。 デザインを任された若いデザイナーは、暗いステージにカラフルな光が渦巻くロックコンサートに出かけて、ひらめきを得た。ライブイベントのサイケデリックな視覚効果がヒントとなって、その高揚感を伝えるイメージ作りに取りかかり、音符記号「♪」をベースとすることにした。そしてこのマークにさまざまなフィルターをかけ、グリッチエフェクトという効果を使うことにした。
ドウインの中国国内グロース
- 最初はルックスの良い芸術大学の学生に動画を投稿してもらい、イケてるイメージを作っていった
最大の問題である、有能な若いコンテンツ制作者の不足を正面から解決しなければならなかった。 その解決策となったのは、芸術大学の学生だった。ドウインのチームは、全国の美大・芸大に深く入り込み、アプリのユーザーになってくれるルックスのいい学生をスカウトして回った。そうしてチーム全体で数百人の学生を説得し、ネットで有名になる手助けをすると約束した。効果は絶大だった。おかげでユーザーの急増によってオリジナルのコンテンツが増え、「クールでお洒落」というアプリの雰囲気が確立した。
- モノマネやダンスのコンテンツでバズる
そして2月、初めてドウインにブレイクの兆しが見えた。ドウインで発生した「バックラブ・ダンス」というダンスミームが、さまざまなプラットフォームに有機的に拡散しはじめたからだ。 3月になると、また別の動画がチームの目に留まった。有名なコメディアン、ユエ・ユンポン(岳云鵬) に見た目もスタイルもよく似た、絶妙な物まね動画だ。チームは、ユンポンのソーシャルメディアの公式アカウントに繰り返しメッセージを送った。そうして何度も粘り続けるうち、ついにコメディアン本人の目に留まり、何百万ものフォロワーにその物まねをシェアしてもらうことができた。
ヒップホップにハマってる人たちは、みんなドウインを使ってる
- 経営陣も投稿してクリエイターの気持ちを理解する
のちのインタビューでイーミンは、経営陣には全員、ドウインの動画を作ることが義務づけられ、一定数の「いいね」がもらえなければ、腕立て伏せなどの罰が科されたと明かしている。 チャートやデータを見るだけでは十分ではない。経営陣は、クリエイターの立場からもショート動画を理解する必要があった。イーミン自身、ドウインの動画はずいぶん前から観ていたが、自分で作るのは「私にとって大きな一歩だった」と認めている。
- フィルター機能もユーザーの声から導入
中国の若者がオンラインで映る自分の姿に非常に敏感であることがわかると、専門の技術チームが設置され、ドウインにクラス最高の美化フィルターと特殊エフェクトが構築された。これにより、コンテンツ制作のハードルが下がり、ユーザーはノーメイクでも自信を持って撮影できるようになった。
- トウティアオで培った「リコメンドエンジン」と「既存のデータ」の基盤があり、「アプリ工場」モデルが社内に出来上がっていた
- さらに、短尺の動画はイテレーションが早いので、データのフライフィールと非常に相性が良い
- これにより、高いユーザーの定着率が実現し、勝利の方程式が確立
重要だったのが、レコメンドエンジンと既存のユーザープロファイルのインタレストグラフだ。 バイトダンスAI研究所所長の言葉を引用すれば、同社の「強力な武器」は、コンテンツレコメンドエンジンに加えて、何百万ものユーザープロファイルとインタレストグラフからなる既存のデータベースだった。
コンテンツアプリは、同じバックエンドの技術スタックとユーザーデータを共有している。たとえば、バイトダンスのひとつのアプリで、ある記事が読まれ、「いいね」が付くと、別のアプリのコンテンツレコメンドに直接影響を与える可能性がある。 「私たちの誰もが、一般のユーザーには見えないインタレストグラフをバックエンドに持っています。たとえば、私がいちばん興味のある有名人とか、関心のある企業 10 社とか」と、イーミンはあるインタビューで説明している。
短尺の動画もこのプロセスにぴったりとマッチしていた。通常、ユーザーは、1分間に何度も画面をスワイプしたりタップしたりするため、そのたびにユーザーの好みが少しずつ明らかになり、インタレストグラフをさらに充実させることができる。一方、長尺の動画では、ユーザーは連続ものの 45 分のドラマを一度も画面に触れずに観られるため、提供されるデータははるかに少なくなる。
- 勝利の方程式ができると、「バラ撒き戦法」でマーケし、さらにデータのはずみ車が加速
このモデルのもうひとつの側面は、大胆さだった。何かに勢いがあれば(ドウインが明らかにそうだったように)、イーミンはそのプロセスを加速させるために躊躇なく莫大な予算を付けた。ショート動画に関しては、特にそれが当てはまる。後発であるからには、時間との勝負だとわかっていたからだ。
バイトダンスはさらに、主要なオンラインチャンネルで広告やプロモーションのスペースを買いあさり、1日に約400万元( 50 万ドル以上) を費やすなど、ユーザー獲得に総力を挙げた。こうしたすべての取り組みが相まって、ドウインは中国のアプリストアでチャートのトップに躍り出た。さまざまな記事が伝えたところでは、ドウインの1日当たりのアクティブユーザー数は、春節を含む2月から3月にかけて、約4000万人から7000万人へと跳ね上がり、フォロワー数が4倍になった人気アカウントもあったという。 この成功で勢いづいたバイトダンスは、ドウインのさらなる強化策として、1日当たりのプロモーション予算を2000万元(280万ドル) に増額し、買収の利くあらゆるチャネルでトラフィックを購入した。そうして4月には、1日のユーザー数は1億人を超えた。
ドウインが取るに足らないちっぽけな存在から爆発的な成長を遂げるまでに要したのは、半年あまりの時間だった。
- テンセントがWeChat内の導線もフル活用して、追いつこうとするも無理だった
テンセントがライバルを排除するためにとる手法は一貫していた。敵のプロダクトを模倣し、自社の巨大なオンラインサービス帝国を活かして膨大な数のダウンロードを促す。ウェイシーチームの戦略会議では、シンプルかつ単刀直入な「北極星」的目標が設定された。「ユーザー数、ユーザー定着率、アプリ内滞在時間でドウインに並ぶこと」だ。
「ウェイシーをダウンロードしよう」というポップアップや通知が、テンセントのあらゆるプラットフォームに現れるようになり、そのやり方はときにスパムのような、かなりうっとうしいものだった。「超」の付くほど保守的なウィーチャットでさえ、ユーザーが動画を投稿すると、ウェイシーの宣伝が追加されていた。 半年後、ウェイシーのデイリーユーザー数が400万人に達した。
ドウインのユーザー定着率が約 80 パーセントなのに対して、ウェイシーの定着率はわずか 43 パーセント。利用時間はドウインの4分の1にすぎなかった。
バイトダンスに勝るテンセントの明らかな強みは、ソーシャルネットワーキングでの圧倒的な地位だった。ウィーチャットのアカウントを使ってウェイシーにログインすることは、同じアプリを使っている友人や家族と簡単につながれるということだ。こうした「ソーシャルグラフ」の統合は、テンセントの人気ゲームの多くでは有効だったが、ショート動画にはそれほど効果がなかった。 ドウインの成功はアルゴリズムによるレコメンドに大きく依存しており、そこにソーシャルなつながりは必要なかった。
Tiktokで世界へ
- グローバルへの思いを持ち続け、英語もコツコツ勉強
「世界進出は必須です」。これは、イーミンが中国のスタッフに向けて直接発信したメッセージだ。 彼がきっぱりそう主張する根拠は明白だった。世界のインターネットユーザーの5分の4は、中国の外にいる。インターネットの世界では、プロダクト開発にかかる「固定費」は高くつくものの、新たに増加したユーザーにサービスを提供する「限界費用」は、ゼロに近いことが多い。中国のインターネット市場は世界最大とはいえ、市場をひとつに限定しては、バイトダンスが世界のグーグルやフェイスブックに対抗することは間違いなく不可能だ。イーミンの長年の夢である「世界進出」は、創業当初から組織の重要なテーマであり、イーミンはその準備として、数年前から英語の勉強を粘り強く続け、仕事で支障なく使えるレベルにまで達していた。 「グーグルは国境なき企業です。私は、バイトダンスもグーグルと同じように国境のない企業になることを願っています」と、イーミンはあるイベントで語っている。
イーミンは北京のバイトダンスから少数のメンバーをロサンゼルスのオフィスに連れていった。「チームは困惑していました。外国へ行ったことのあるメンバーがほとんどおらず、みんな自信がないと言っていました」と、イーミンはのちの講演で振り返っている。だが、懸念事項はさまざまあったものの、結局、「実際の運営は予想したほど難しくはありませんでした」と締めくくっている。
- 最初はアジアの他の国から進出
ティックトックの初期の市場は、ベトナム、韓国、タイ、インドネシアなどのアジア諸国だった。
- とにかくキーマンの採用して、コンテンツは現地に合わせる
バイトダンスを次の段階に発展させるためのイーミンの戦略は、シンプルだった。絶対的にベストな人材を採用するか獲得するかして、その知識を組織に注入することだ。社の初期のレコメンドエンジンを向上させるために、イーミンはバイドゥ(百度) からトップレベルの専門家を容赦なく引き抜いた。また、収益化に乗り出すために、従来メディアの広告の新星、ジャン・リードン(張利東) をヘッドハントした。同様に、フリッパグラムのほか、ニュースアグリゲーターであるインドのデイリーハント(Dailyhunt) やインドネシアのバビ(BABE) などを初期に獲得したことで、イーミンは、現地の重要なビジネスノウハウや専門知識を得ることができた。バイトダンスは経験豊富な創業者らの知識を借りて、現地市場のニュアンスの理解を一気に加速させることができた。
あるインタビューでイーミンは、バイトダンスのアプローチを「プロダクトはグローバルに、コンテンツはローカルに」と形容している。
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欧米圏に向けては、2018年にミュージカリーを買収し、Tiktokと統合
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TikTokは中国国内と同様に「狂気的なマーケティング」を行う
- ここでも「トウティアオのグロースと同じ手法 Traffic is King」を使う
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ユーザーがアプリに投稿した動画をそのまま広告素材として大量に利用し、広告のクリック率が高いものに機械的に最適化していった
イーミンは、慣例に従うタイプではなかった。アプリ自体の動画を利用することにしたのだ。プラットフォームの利用規約で、その権利は認められていた。
さまざまな動画を試すシステマティックなプロセスを実行した。さまざまな動画を試した。広告は、ティックトックがどういうもので、どこが魅力かは一切伝える必要はない。ただ人々の興味を引ければよかった。目的は単純で、最も多くの人に青い大きな「インストール」ボタンをクリックしてもらえる動画を見つけることだった。
- この広告への巨額の投資で多くのダウンロード数を獲得したが、中国国内と違い、アメリカではTiktokは「イタい動画」を投稿するアプリとして認知された
- 日本でも同様
アメリカでは、まるでその逆だった。ティックトックは、負け犬やはみ出し者のためのイタいアプリとして人々の意識に入り込んでいた。いったい何が起きていたのだろうか。 答えは、バイトダンスがユーチューブやインスタグラム、スナップチャットなど、欧米の主要なソーシャルメディアプラットフォームで展開した、徹底した大規模広告キャンペーンにあった。その予算は、『ウォール・ストリート・ジャーナル』が報じたところでは、2018年には 10 億ドルを超えたという。
その代表的な例が「ファーリー(ケモノ)」だ。注目すべきアーリーアダプターには他に、コスプレイヤーとゲーマーのコミュニティもあった。
- これにより、ユーザーは急速に集まっているにも関わらず、巨大プレイヤーを含めた多くの人がTiktokの脅威を見誤った
奇抜でイタい動画と早々に評判になったことで、おもちゃのように見られ、まともに相手にされていなかった。その状況は、スナップチャットが初めのうち、大学生が消える写真で「性的なメッセージを送り合う(セクストする)」ためだけのアプリと片付けられていたのと同じだった。各方面で批判され、アメリカでのユーザー定着率はたかだか 10 パーセントとも言われていたため、ティックトックは、自身をのぞいて、誰にも脅威とはみなされていなかった。
中国で始まったパターンが、今度は欧米で繰り返されていた。バイトダンスが画期的なプロダクトを考え出したとき、それに張り合う絶好の位置にいるインターネットの巨大企業が、手遅れとなるまでその脅威を見極められなかったのだ。
2012年、イーミンは、モバイルのニュースフィードからコンテンツを集約し、レコメンド機能を使って体験をパーソナライズする好機を見出した。そのころ、バイトダンスはまだ、わずか 30 人がアパートの一室で働いていた。高い技術要件を考えれば、当時、時価総額で中国2位のインターネット企業だった検索大手のバイドゥ(百度) は、このサービスを構築するのにはるかに有利な位置にいた。ところが、バイドゥのリーダーには、そのチャンスの重要性がわからなかった。
2017年、テンセント(騰訊) は、ショート動画で直接張り合うことを諦め、自社のウェイシーのサービスを停止して、当時の市場リーダーであったクワイショウ(快手) の少数株を取得することを選択した。そしてドウインの利用が爆発的に増えると、慌てて競争の激しい分野に戻ったが、結局は手遅れだった。すでにドウインが市場を独占していたからだ。
このパターンの最新版がフェイスブックのケースだ。彼らの失敗は、テンセントの場合とやや似ていた。当初、フェイスブックはミュージカリーの可能性を正確に認識し、一時は、完全買収を真剣に考えたこともあった。だがその後、ティックトックを著しく過小評価してしまった。
- そして世界一へ
2020年半ばには、ティックトックは無視できない存在となり、 20 億回もの衝撃的なダウンロード数を叩き出して、紛れもなく世界で最も注目されるプラットフォームとなっていた。
Tiktokはなぜ世界一になれたのか
1. ジャン・イーミンの志の方向性
- 「テンセントの社員になるために、ByteDanceをやってるわけじゃない」
ビッグ3のなかでも特にアリババとテンセントは、インターネットサービスの強固で広範なエコシステムを構築し、膨大な量のトラフィックとユーザーデータを集めている。業界では一般に、中国のインターネットエコシステムのなかで一定の規模に達したスタートアップは、BATの1社から出資を受けるか、BATに味方している競合企業につぶされるリスクを受け入れるかを選ばなければならないとされている。
テンセントがバイトダンスに出資するとの噂が流れたとき、ある社員がイーミンにこぼしたことがある。「テンセントの従業員になるためにバイトダンスに入ったわけではありません」。イーミンは「私もだ」と素っ気なく返したという。
2. 2012年というベストタイミングで「スマートフォン」と「レコメンドエンジン」の2つの大波に飛び乗ったこと
- スマートフォンによるUIの転換
- レコメンドエンジンという後に「持続的な競争優位をつくる」仕組みの初期に張れたこと
3. 2と3で作り上げた「データのフライフィール」と「電光石火のマーケティング」の組み合わせ技
- 「アプリ工場」モデルで作り上げた「データのフライホイール」と、その「データのフライホイールの臨界点」に達するまで誰にも気づかせない「電光石火のマーケティング」
豆知識系
ByteDanceの社名の由来
最終的に「ByteDance(バイトダンス)」を選んだのは、スティーブ・ジョブズの有名な言葉がヒントになったと言われている。 「技術だけでは十分ではない。 一般教養 と結びついた技術、人文学と結びついた技術こそが、われわれに心弾む結果をもたらしてくれる」。 コンピュータの情報の単位である「byte(バイト)」には技術的な響きがあり、「dance(ダンス)」はリベラルアーツである、というロジックだ。
すでに国内に豊富に存在した大きなチャンスにのみ的を絞り、海外進出はほぼ念頭に置いていないことが多かった。バイトダンスがまず英語の社名から決めたのは、やや使い古された感のある社のスローガンのひとつ、「1日目からグローバル」を本気で考えていたことを示す確かな印と言える。